心奪われた。柔術をやってみたいって(関根)
【写真】丸暴担当から国際捜査課に移動した頃の関根。サングラスにいかついスーツ姿での入門相談に、坂本は「刑事ではなく完全に逆側の人かと思いました」と苦笑する。
RIZINやプロレスで活躍する関根“シュレック”秀樹も、サトシたちを「先生」と呼ぶ「生徒」の一人だ。
元刑事の関根は、柔道出身。当初は、愛するプロレスラーの船木誠勝がヒクソン・グレイシーに絞め落とされた姿を見て、ブラジリアン柔術を「敵」だと感じていた。
2000年代、関根が勤務していた浜松ではブラジル人による犯罪が頻発していた。外国人犯罪の事案を手がける国際捜査課に異動となった関根は、ブラジル人に関する情報収集を目的に、ブルテリア・ボンサイ柔術に入門した。
柔道で活躍し、機動隊出身の関根にとって、オリンピック競技でもない柔術は“下”の存在だった。ところが、ボンサイ柔術で関根は、その奥深さに触れる。
「初めてダイ先生のテクニックを見たときに、十字絞めの襟への手の入れ方が美しすぎて“ああ、モノが違うんだな”と。そして、マルキーニョスと組んでみたら、もうこてんぱんにやられた。自分の力を使う前に流されて、力が入らない。このときに、心を奪われたんです、柔術を習ってみたいって」
当時は、いまよりずっと日本人と日系ブラジリアンの間に大きな壁があった。互いを知らず、知ろうともせず、距離を置くことで、分断と対立が生まれていた。
【写真】上から攻めるばかりだった関根は、いつしか力に頼らないガードポジションから仕掛けるスタイルに変わっていた。
関根は、初めて出場した柔術の白帯の大会を勝ち上がるなかで、予想もしなかった応援を受ける。
「4試合目でもう足がつって、握力も無くて、体力の限界がきちゃったんです。それで動けなくなったら、ブラジル人たちが男の子も女の子もみんな、ものすごい大きな声で応援してくれて……まるでテレビで観ていたブラジルのサッカーの試合みたいに、『セキネ、セキネ!』って……感激しましたね。勝ったことにじゃなくて、今までの人生でそんなに応援されたことなんてなかったから」
義理がたく情に厚い──昔の日本人のような気質を持つ彼らを、最初から色眼鏡で見ていたことに、関根は気付いた。
【写真】2021年5月の関根。クレベルが持つミットにパンチを打ち込む。
練習後のある日、ダイから自宅でのシュラスコパーティーに誘われた。野趣溢れる料理に、ラテン音楽。明るく、ときに情緒的な旋律は、祖国を離れた日系ブラジリアンたちの郷愁、同じルーツを持ちながら異なる文化を育った、サウダージとも呼べる感情を呼び起こした。おおらかなブラジル人たちは緩やかな時間を生きている。もしかしたら日本人の方が急ぎすぎなのかもしれない。相手の習慣や価値観を理解すること。関根は、またひとつブラジリアンたちの、ほんとうの気持ちに近付いたような気がした。
レッテルを貼ること、無知が恐怖を呼ぶ
【写真】関根もRIZINでのスダリオ剛戦をアピールしている。
関根のなかで変化が起きていた。
「当時、警察官と接点のあるブラジル人の多くが犯罪者で不良ブラジル人とばかり会ってるから、ブラジル人を見ると『ブラ公、ブラ公』って蔑称で呼んでる同僚がいたんです。『お前らは……』って。それを聞いて思わず自分、『ブラ公なんて言うんじゃないよ。なんにも悪いことしてない人にそんな風に言うなよ』って」
「お前ら」と呼ばれた瞬間、そう呼ばれた人がマイノリティーになる。何らかのレッテルを貼っていることが意識の中で働き、ひとくくりにしてしまう。そして“知らない”ことが、恐怖を呼ぶ。
坂本も関根も口をそろえて言う。
「悪いブラジル人もいれば、良いブラジル人もいる。日本人も同じ。悪い日本人も良い日本人もいる。そんな当たり前のことに、気付けないのは“知らない”から。もしかしたら、日本人がブラジル人を怖い、と思うように、ブラジル人も日本人を怖い、と思っているかもしれないのに」