常に「外側」にいたアウトサイダーとして
【写真】ポーランドのスタジアムでは、ブラジルと日本の国旗のハチマキを巻いて戴冠を迎えた。(C)KSW
日本とブラジルの国旗を掲げてKSWで王者になったとき、ポーランドでは空港職員からサインを求められた。帰国した日本の空港では、職務質問を受けた。何が自分を既定するのか。ブラジルではブラジル人として見られず、出稼ぎに来た日本では日本人に見られず、それでも日本人の血が流れ、この国に住んで18年になる。いまの自分はナニジンなのか。
「いまでも日系ブラジル人。日本人とは言い切れない。でもここでは自分に差別はない。それに、日本人と同じじゃなくていい」と、クレベルは、いう。
「日本人と違うところがある。私とあなたは違う。でもその違いがあることを認めることが大事。それが……ディベルシダージ(多様性)だし、その力を育むのが格闘技だ。それを通して、僕は共通の言語、柔術でみんなと会話できる」
朝倉未来とは、その意味で似てるとも思う。
“ニッケイ”として常に日本人の“外側”にいた。
クレベルもまた“アウトサイダー”の一人なのだ。
【写真】朝倉未来と対峙したクレベル。「簡単にタップはしない」という未来に、クレベルは「ならば絞め落とすか折るだけ」と決意を見せた。
それでも、いまの彼には帰るべき場所がある。
「日本に僕の生活がある。僕らの夢はこの日本で、日本の子供たちが柔術を通して成長し、人として豊かになることをサポートすること。そして、それを僕ら“ニッケイブラジル人”がやれるってことを、この国の人に見てほしい。僕の家族を助けることが出来るのも、僕にとって大きな夢だ」
コロナ前に、母国ブラジルのファベイラ(貧民街)で、ボンサイ柔術のソーシャルプロジェクトとして、120人の子供たちに柔術を指導し、道衣や大会参加費などを援助。さらにスポンサーを集め、食べ物や衣服などを提供する“足長おじさん基金”を起ち上げた。
「『サトシやクレベルみたいになりたい』ってメーセージが来るよ。彼らの目標になりたい。その意味で、MMAのベルトは僕にとってファイシャ・プレタ(黒帯)みたいなものだ。試合は僕たちの違いが如実に出るだろう。打撃が勝つか、僕らの柔術が勝つか。試合も人生も苦しい時間は必ずある。でも、最後にベルトを巻くのは自分。それ以外の道はない」