自分なら出来る、この道で行くと決めた(クレベル)
サトシとともに、クレベル・コイケは、東京ドームで、YouTuberとしても人気を博す朝倉未来と対戦する。両者の試合は、「日伯の喧嘩屋対決」とも言われている。
来日当時14歳のクレベルは、痩せっぽちの少年だった。日本の中学校で日系ブラジル人たちがいじめられている姿を見て、学校には行かなくなった。
日本人の祖父がブラジルで柔道をやっていた縁から、サンパウロで7歳から柔道を始め、来日後、ボンサイ柔術に入門した。静岡県天竜市の伯系コミュニティーの柔道サークルにも通っていたクレベルは、後の北京五輪柔道女子ブラジル代表にもなったダニエラ百合中沢バルボーザとも練習していたという。
柔道は「下手くそだった」。
「柔道でやられそうになったときによく寝技に行った。柔道のルールだと、三角(絞め)を持ち上げられたら『マテ』じゃないですか。でもそれで止めないで絞めたら、めっちゃ怒られた」と苦笑する。
【写真】三角絞めを狙うクレベル。柔道時代の投げもMMAで生きている。
「柔道の“微妙な黒帯”にはなりたくなかった」という。柔術でスペシャルな黒帯選手になること、そしてMMAで成功すること。
「サトシはいつも自分にとってこうなりたい、という存在。サトシとは歳も同じで、帯の進級も一緒だった。でも、柔術のレベルは全然違った。だから、僕はMMAを感じてみたかった。子供の頃から喧嘩も多かったし“何でもあり”になったらどうなるか、自分ならできる、僕はこの道で行くと決めたんだ」
リーマンショックの年に始めたMMAは、初期の試合で苦い敗戦を経験しながらも、9年をかけて、欧州のメジャータイトルを獲得するまでになった。
【写真】ドーム級の会場は経験済みのクレベル。ポーランド5万8千人の観客の前でベルトを巻いた(C)KSW
2017年5月27日、ポーランドのワルシャワ国立競技場でクレベルは、王者マルチン・ロゼクに判定勝ちし、第3代KSWフェザー級王者に輝いている。磐田のアパートで食費をかきあつめていた少年が、「5万8千人」の大観衆の前でベルトを巻いた。クレベルにとって最初の到達点だった。
「KSWではいつもライオンと戦っているようだった。常に自分はアウェーで勝ちを望まれていなかったから。僕にとって周りにいる人たちが幸せだと思えることが最大のモチベーションだ。両親と離れて戦うことが、それだけのことをかける価値があることだと感じたかった」
その後、2019年から日本に主戦場を移したクレベルは両親も呼び寄せ、3試合連続で一本勝ちをマークしている。