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インタビュー

デカセギからRIZINへ~サトシとクレベル、日系ブラジル人とボンサイ柔術と日本の絆

2021/06/12 11:06

ソウザ兄弟の才能を埋もれさせてはいけない


【写真】ボンサイの絵をバックにサンパウロの道場にて、左から次男マルコス、長男マウリシオ、父アジウソン、三男ホベルト・サトシ、長女ユカリ、前列は四男ムリーロ。

 早朝から夜9時の残業まで、昼夜を問わず工場で働いていたサトシの兄ダイに、坂本が出会ったのは2004年のことだ。

 日系ブラジル人しかいない磐田のサークルでブラジリアン柔術を習っていた坂本は、その年に来日した小柄なボンサイ柔術の長兄ダイに、巨漢の重鎮2人が実力を測るように、疲労した練習後半にスパーリングを仕掛けたときのことを覚えている。

「ダイ先生は力を使わず、2人ともことごとく極めてしまった。ボス的な2人がすぐにその実力を認めて、従うようになりました」

 ボンサイ柔術の創始者で父アジウンソン・ソウザと同じように小柄な分、引き出しが多く確かな技術を持っていたダイ。そして内面的にも信頼できる人柄に、坂本は惹かれた。

 ダイやサトシの父アジウソンは、ヒクソン・グレイシーの父エリオ・グレイシーも認めた柔術家だ。サンパウロで柔道、極真空手も学んでいたアジウソンは決して裕福ではなかったが、自分たちより貧しい人たちに無償で柔術を教えるなど地域に貢献し、周囲から敬意を得ていた。その息子たちはデカセギとして来日し、資金を蓄えることでボンサイ柔術を世界に広めようとしていた。

 そんななか、ノールールに近い“何でもあり”の試合で活躍する柔術家たちに憧れてブラジリアン柔術を始めた坂本と、ソウザ兄弟が日本で出会った。日系ブラジリアンによる犯罪もあるなか、坂本にはもともと偏見が無かったという。

「周囲にそう指摘されるまで、自分はそのことに全然気付かなかったんです。というのも、柔術が強くて上手い彼らを尊敬していたから、差別するなんて考えたこともなかった」


【写真】2008年、来日したばかりのサトシを中央に。左がマルキーニョス、右は長兄ダイ。

 パウリスタ(サンパウロ柔術選手権)で5度の優勝を誇るダイに続いて、19歳で黒帯を巻いた次男のマルコス・ヨシオ・ソウザ(マルキーニョス)、そして「将来の黒帯世界王者候補」といわれた三男のサトシも来日。彼らが長時間の「3K(キツい、危険、汚い)」労働の後に柔術に勤しむ姿に、坂本は自分に何か出来ることはないか考えたという。

「以前、自分もバイク工場でアルバイトをしたことがあるんです。すぐにこれは無理だ、と思いました。ライン作業で常にベルトコンベアにクラッチが流れてきて、ちょっとでも気を抜くと、あっという間にたまってラインが止まってしまう。わずか1カ月だけのバイトでしたが、ほんとうに厳しかった」

 ソウザ兄弟は、特別な才能を持っているのに、工場で働いて疲弊している。このまま埋もらせてしまってはいけない。自分が道場をつくって、指導者としての仕事をつくれないか。そうしたら、いつか彼らも工場で働かなくても生活できるようになるかもしれない──そんな思いで坂本は、浜松の積志駅近くに「ブルテリア格闘技ジム」をオープン。そこをボンサイ柔術の日本支部とした。


【写真】遠州鉄道の積志駅から徒歩1分に位置するブルテリア・ボンサイジム。遠鉄は単線鉄道ながら一日の運行本数は166本と全国でもトップクラスの生活路線だ。

 デカセギとして14歳で両親とともに来日したクレベル・コイケもソウザ兄弟の実力に惚れ込んだ一人だ。日本のボンサイ柔術に入門することで初めてブラジリアン柔術を知ったクレベルは、サトシと同い年。サトシの柔術での輝きを知るクレベルは、兄たちが道場運営に専念できるようになっても、工場で働きながら練習や指導をするサトシとともに工場に通い、その背中を追っていた。

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