(C)Zuffa LLC/UFC
2022年6月9日(木)と6月10日(金)の2日間にわたりシンガポールで1回戦が開催されている『Road to UFC』。
UFC Fight Passに加え、ABEMAでの無料生中継も行われる同トーナメント(※1回戦が6月、準決勝は9月、年末に決勝戦。優勝者がUFCと契約)には、フライ級、バンタム級、フェザー級、ライト級の4階級に8人の日本選手が出場する。
本誌では、トーナメント出場7選手にインタビューを行った。初回の松嶋こよみ、2回目のSASUKE、3回目の堀内佑馬、4回目の中村倫也、5回目の風間敏臣に続く、最後の選手は、今回の出場選手中、唯一の地方在住ファイターで、バンタム級トーナメントに出場する“不撓不屈の筑豊男児”野瀬翔平(マスタージャパン福岡)だ。
一度拾った命、身体だからやりたかったMMAに挑戦した
――いよいよ「Road to UFC」です。この話が来たときの率直な心境はいかがでしたか。
「びっくりしました。僕がリストに入ってるって最初聞かされたときに、驚いて、正直、僕でいいのかなじゃないけど、驚きました。でも、ずっと目指していたことだったのでやりたいとすぐに思いました」
――UFCが「ずっと目指していた」ことだったと。以前『ゴング格闘技』本誌のインタビューでうかがいましたが、野瀬選手は柔道時代に大きな怪我をしていますね。
(高校2年生のときに、柔道の団体戦無差別の試合で重量級を相手に首の骨を骨折。地元の九大病院では手術が出来ないほどの重症のなか、ドクターヘリで福岡の病院に緊急搬送。脊椎損傷センターで足の骨を削って頸椎をつないで固める大手術を行ったが、『殺してくれ』と叫ぶほどの痛みのなか、車椅子に乗るためのリハビリから開始。奇跡的に1年後に痛みや痺れが和らいだものの、1年経っても懸垂1回もできず、腕立て伏せ10回もできない状態だった)
それでも格闘技を続けたい、MMAに挑戦したいと思ったことの目標が最高峰のUFCだったと。しかし、それほどの大怪我をしながら、格闘技をすることに不安などはなかったでしょうか。
「怪我するときはするだろうな、仕方ないなとは思っているんです。一度拾った命、身体だからやりたかったMMAをやろうと思ってやった。本当はもうあのときにずっと車いすになると言われていたのが、お医者さんたちののおかげで動けるようになったので、それならやりたかった好きなことをやろうと決めたことでした」
──お母様はMMAをやりたいと話したときに『好きなことをやりなさい』と言ってくれたそうですが、「怖いから試合を見に来ることはない」と。今回の「Road to UFC」のことも報告されたのですか。
「報告はしました。お父さんは柔道をやってて、昔から格闘技好きなので喜んではくれてたと思います。お母さんは……ちょっとよく分かってなかったですけど(笑)」
――そんななか、前戦は5月15日のプロ修斗公式戦福岡大会「TORAO 27」でした。今回の「Road to UFC」の話を聞いたのはいつだったのでしょうか。
「闘裸男で修斗の試合が決まっていたので、師匠の弘中(邦佳)先生のほうが、言わないでおこうと思っていたみたいで。リストに載っていて、もしかしたら決まりそうという頃に聞きました」
――それは闘裸男の試合前だったんですね。
「闘裸男の試合の3週間くらい前で、追い込みしているときでした」
――キャンセルという考えは出なかったですか。試合にもそうとうな緊張感を持って臨んだのでは?
「例えばUFC側から、この3週間前に試合するなら『Road to UFC』に出さないということであれば、それはもう『Road to UFC』に出たいです、とは言ったんですけど、弘中先生がうまく話しをしてくれた、試合をすることが出来ると。ならば無傷で勝つしかないと思いました。今までで一番、僕の中では下手な勝ち方もできないし、負けるわけには絶対にいかない、ダメージも残してはいけないというプレッシャーはありました」
――なるほど。ダメージ少なく勝つ必要があった。そしてそこで負けているようでは「Road to UFC」でも勝てない。結果、75秒、ギロチンチョークで一本勝ちでした。試合自体のダメージもともかく、試合に向けた練習が続く疲労などはいかがでしょうか。
「体重ももう闘裸男のときに、当日でフェザー級の体重だったので、そこから増やすことなく、65.8kgでクリアして、少しリカバリーして、また次の日から練習を再開したので、あまり増やすことなくずっとキープくらいで『Road to UFC』に来ました」