UFCで勝った月曜日も仕事に行かなければならなかった
2005年7月にブロンクスの『UCL』(アンダーグラウンドコンバットリーグ)でエリック・ウレスクとMMAデビュー戦を戦い、1R TKO勝ち。60ドル(約9千円)のファイトマネーを手にしたエドガーは、その金額をゆうに超える眼窩骨折の手当をしながら、配管作業をしていた。
アンダーグラウンドでは、階級も無くドクターもおらず、「基本的にルールがない1Rの試合」でレスラーのエドガーは頭突きを駆使して勝利した。当時は「勝つための良い方法だったよ」と笑う。
2005年10月に正式にプロに転向し、『Ring of Combat 9』で2度目の勝利と初の公式戦勝利を得た。彼は2007年2月にUFCに参加する前に、4つの団体で6試合を勝利している。
UFC前の最後の試合は『Reality Fighting 14』でのジム・ミラー戦だった。5分3Rのライト級タイトルマッチでエドガーが判定勝ち。
その試合を「“カリフラワー”の一部を蹴飛ばされた。ブロックの上を蹴りが抜けて何かが飛んでいって、それは私の耳の一部だった」と振り返る。
死闘のなかでベルトを巻き、TUFシーズン5のトライアウトに参加するも落選。しかし、その1カ月後の2007年2月『UFC 67』でUFC初参戦を果たし、ユライア・フェイバーに勝利するなど8連勝中だったタイソン・グリフィンに3-0の判定勝ちを収めた。「ファイト・オブ・ザ・ナイト」の激闘だった。
軽量級中心のWECがUFCへ統合されたのは2010年。2007年当時、UFCで最軽量はライト級だった。
「私はずっとUFCに行きたかった。私にとってUFCはMMAスポーツの頂点だったから、他の団体には行きたくなかったんだ。SpikeTV、Fox、ESPN、リーボックとナイキが絡んできた。今では、アメリカの4大スポーツと肩を並べられるようになったと思う。
MMAを始めたとき、MMAに出会ったような気がした。UFCに入ったばかりの頃は、ロレンゾ・フェティータ(CEO)が誰かも知らなかった。彼は私の試合後に話しかけようとして、最初は追い払ったんだ。彼らは『おい、それはダメだ。ロレンゾだぞ』って。私はまだ経験が浅かったんだ(苦笑)。私は配管工として働いていて、月曜日も仕事に行かなければならなかったから。MMAが楽しくて、上手くなっていって、そしてその味を知ったら、すぐにチャンピオンになりたかった。でも、殿堂入りは考えていなかった」
UFC3戦目、生まれ故郷のニュージャージーでスペンサー・フィッシャーに勝利した後、エドガーはようやく配管工の仕事からフルタイムのファイターになっている。