朝倉には「俺達、身を削ってやったよね」と
「僕のなかでハテナがあった。それは鶴屋(浩代表)さんもお客さんも、朝倉選手の寝技がどうなのか? ということ。それで片足(タックル)に入ったときに嬉しかった。“これが朝倉海の組み技なのか”と。向こうも拳を痛めていて本調子じゃないと言われるかもしれないけど、やっと攻防が出来た。片足に入ったときの腰の強さとか、『朝倉兄弟=腰が強い、とんでもない強さで起き上がってくる』という巨大なものが、テイクダウンしてハーフになって背中を着けたときに一切無くなって、“あっ、普通の人間だ”と思って、そこからパスしてハーフになってマウントを取った」
前足への蹴り、そしてテイクダウン。そのフェイントも効果を発揮し、扇久保のパンチが当たるように。朝倉は得意の打撃の踏み込みも思うようにいかなくなっていた。
「1Rも2Rも取って、インターバルでセコンドの鶴屋さんから『守ったら負けるぞ、テイクダウン取ったら勝てるからな』と言われて、3Rは愚直に絶対にテイクダウン取って上になろうと。疲れてはいたけど1回戦よりは温まっていて、動けてはいた」
朝倉の右拳の骨折は「分からなかった」という。
「最後の最後まで右がいつ来てもいいように警戒していた。右ストレート、アッパー、左ボディ、跳びヒザを警戒して。朝倉選手の打撃は戦った人しか分からない。マジに硬くてほんとうに強力なので。ただ、自分も右ばかりではなく左にも頭を傾けて避けているから右を打てないんだろう、と思っていた。相手の左でテンプルに効かされたくらい。とにかく攻めることだけ頭にあって、終わった瞬間に判定は勝ったと思った。終わって“今日、左フックを効かされたな”と。“あれ、右を警戒してたのに打って来なかったな”と。それで“右やってんな”と思って、試合後に(朝倉に)『右を怪我した?』と聞いたら『はい』と」
試合後に朝倉の異変を知ったという勝者は語る。
「1日に2試合は大変でした。ほんとうに過酷だなと。仲良しこよしではないけど、朝倉選手には“お疲れ様”と、“俺達、身を削ってやったよね”という気持ちはあります」