世界で戦って来た日本人選手から何を学ぶか
――その一歩を踏み出した選手たちと、いま日本で戦っている選手を戦わせてみたいと。
「そうですね。やっぱりその先駆けって宇野選手でしょうし、あの当時、あの階級でジェンス・パルヴァーと戦ったり(※2001年2月、初代UFC世界バンタム級(現ライト級)王座決定戦で判定0-2で敗れる)、BJ・ペンとも戦った」
――その宇野選手のVTJ参戦や、修斗と関係のあるONE Championshipに関連した選手の参戦もあり得ますか。
「世界と戦ってきたパイオニアです。そういう人たちが日本にいる。世界で戦って来た日本人選手も、世界を知っているじゃないですか。その人たちから何を学ぶか。修斗に普段出ないような選手も呼ぶつもりです。宇野選手にもタイミングが合えば、ぜひ出てもらいたいですし(※インタビュー後、GLADIATORフェザー級王者・原口央との対戦が決定)、ONEで戦っている選手も日本を出て世界で戦ってきた選手なので、そういう選手たちにも出てもらいたいです。勝利であれ、敗北であれ、海外でそれを見つめ直した堀口恭司は、いま米国に移住して戦っている。それに近づくことをするべきではないかなと思います。勝つ方法がそこにあるわけですから」
(※発表されたイメージ動画には、宇野薫のほか、岡見勇信、佐藤将光、高橋遼伍らが登場)」
――それは、いま日本を主戦場とする選手を後押しする形になるかもしれませんね。送り出すプロモーターとしては痛みも伴います。
「でも気付かなきゃ駄目じゃないかなと思います。行かないと分からないこともあるでしょう。成功例があるんだったら真似すればいい。そして、日本でも方法を考えて、近いテンションを何かで持ってこないと駄目じゃないですかね。
【写真】1995年9月の修斗Vale Tudo Perceptionでレオニード・ザフラスキーに一本勝ちした坂本一弘代表。ロープの最下段には細かいロープが張られていた。
僕らの時代には前例や正解がなかったから、当たり前のように長時間の厳しい練習をしていましたが、今は縮めたりできるわけじゃないですか。産業革命前と産業革命後みたいなものですよ。労働時間12時間だったのが8時間になっている。でも、便利になったからって、やるべきことはある。便利になればなるほど、やることって増えるんです。特にMMAは“何でもあり”だから、やることが多い。そこに気付いたやつだけが、ITで出来た時間やツールをうまく組み合わせて使って、格闘技を考えて戦っている」