KIDとレスリングが繋いだMMA
山本が言う“いかに自分を出すか”は、ルーツであり、ストロングポイントである、レスリングを“MMAのなかで”いかに活かして戦うか、ということになる。
東京五輪では「やっぱりレスリングをずっと見ていました。日本の選手の常に攻撃的な、攻めの姿勢が勉強になって、自分のルーツを知らされたというか、いい刺激になりました」と言うが、その刺激は、MMAに繋がっている。
「もちろんレスリングは好きですが、レスリングの練習は、100%どっぷり漬かっていた現役の頃より、いまの方が楽しく出来ます。この技に使えるなとか、MMAに繋げることを考えているので、また新しいレスリングを使った一面が見れて、楽しいです。
いまはレスリングの攻撃をMMAで繋げるのに、何が必要なのかを考えます。普通にレスリングの動きだけだと、(関節を)取られてしまったり、不利な状態になるときもあるので、そこを上手くMMAに繋げる──私の場合だと、上になっているけど極められたりしていたのを、プレッシャーのかけかただったり、手を置く位置や身体のポジションとかを考えたり、反復練習したりすのがすごく楽しいです」と、格闘技として考え、MMAに採り入れることに喜びを感じている。
よく動きを参考にするのは、北京五輪フリースタイル55kg級金メダリストで、元UFC世界バンタム級&フライ級王者のヘンリー・セフードだという。
「レスリングベースの格闘家の人の試合は、ほんとうに勉強になります。友達でもあるヘンリー・セフード選手の試合を見て、それがそのままRENA選手との試合に当てはまるかというと別なんですけど、レスリングベースの選手が強みとする部分を研究するにはすごくいいと思っています」
“友達”として交流があるセフードとの縁も、思えば、KIDが繋いだものだ。
日本の高校レスリングに窮屈さを感じていたKIDは、山本美憂がいるアリゾナの高校に編入し、アリゾナ州の王者に3度輝いている。
「いまヘンリーのマネージャーをしているエリック・アルバラシンが、私とKIDがアリゾナにいた頃によく練習をしていて、特にKIDとエリックが仲良くて、毎日練習をしていて、私も飛び入りで入ったりして……とにかく3人で高校生の頃から知っていて、アリゾナ出身のヘンリーともいろいろ交流はありました。いまもベイビーが生まれるよとか、やりとりをしています」
小学生のころから弟のKID、妹の聖子とともに、レスリングに慣れ親しんできた。13歳で第1回全日本女子選手権に優勝。その後全日本4連覇を達成したが、世界選手権へは年齢制限により出場が認められなかった。
17歳で初めて出場した世界選手権を史上最年少で優勝。レスリング大国の米国留学を果たした美憂だが、当時の全米レスリング協会が女子レスリングを認めていなかったため、女子レスラーの数は少なかったが、全米の学校スポーツ界の規定で男子の運動部も女子の入部を拒否できなかったのため、留学先の男子レスリング部に入部していた。
オリンピックには間に合わなかった美憂は、パイオニアの一人として、女子レスリングを、そして日本の女子MMAでも新たな扉を開いたといえる。
PRIDEでは組まれることがほぼ無かった女子MMAの試合が、日本で世間の認知度を一気に高めることになったのは、レスリングから転向した山本美憂が、シュートボクシング女王のRENAと、地上波放送の試合で戦い、その後もMMAを続けたことが大きく影響している。あの試合以降、女子MMAを目指すキッズ、アスリートの数は倍増し、それ以前に奮闘していた女子MMAファイターの活躍の場も広げることになった。