未来くんとの再戦に『心残り』はなかったです
――アマチュアMMAを経て、Ryo選手の試合で最も有名なのは、2016年3月の「THE OUTSIDER 第39戦」での「65-70タイトルマッチ」で王者・朝倉未来選手に挑戦した試合です。Ryo選手が2Rに、ギロチンチョークで後方に回してマウントギロチンで絞めたときに、リングサイドにいた主催者である前田日明さんがタオルを投入し、試合が終了。あの試合、マウントギロチンになったときはかなり絞め上げましたが、その後は片手になっています。ネックロックになっていたのでしょうか。
「そうですね。右手でネックロックで、返されるのが嫌だったので、左手でバランスを取っていました」
――あの時の手応えはいかがでしたか。
「あの状態で極める時もありますし、正直五分五分といったところで、相手がもし体力が厳しい状況であれば、あれで極まっているだろうなという感じでした。同時に、やっぱり片手じゃ不十分だなという気持ちもありましたね」
――前半でダウンを奪われるも、後半はかなり組み技でドミネートし、未来選手のスタミナもかなり削られていた感があります。タオル投入でRyo選手は、後に「ノーコンテスト再試合の申し出」をしています。出来れば再戦をしたかったですか。
「まず最初に、本人(未来)が(ストップに)納得している状況ではなかったということと、レフェリーの和田さんも(『落ちていない』と言い)納得していない様子だったのを感じました。前田さんにすぐに、『僕、ちょっとマイクで言っていいですか?』と申入れをしたら、前田さんが『言っていいよ』と言ってくれたので、あのマイクパフォーマンスになりました。周囲のサポートがあって、僕たちはスポットライトを浴びることができるということを考えると、もう一度やるという形がみんなの中でも、自分たちの中でもしっかりとした形になるんじゃないかなという思いがあって、再戦の提案をリング上でしたんです」
――結果的にはそれが実現しなかった。あの後、朝倉兄弟も『THE OUTSIDER』を離れ、それぞれの道を歩む形になりました。再戦が実現しなかったことに「心残り」はありましたか。
「『心残り』という“残った”ことはなかったです。正直、いろんなことがありました。でも未来くんのほうが、『Ryoくん、僕、RIZINに出ることになったんですよ』って言いに来てくれたんですよ」
――え、直にですか?
「直接、試合会場でしたね。再戦の話はあったんです。『じゃあすぐにしましょう』という話になったんですが、相手のコンディションや、その他諸々が整わないから、もう少し時間がかかるということがあって、僕も待っている間に中国遠征があって『WLF』で戦ったりもして、『THE OUTSIDER』に戻ったときに、リング上で挨拶をしたら、その後、未来くんから僕に言ってきました」
――『THE OUTSIDER』を離れ、外で試合が決まったと。Ryo選手はどう答えたのですか。
「自分でそうやって新しい道を切り拓いて、そっちでも応援してくれる人がいるならば、それで頑張って行くのはいいんじゃないの、っていうふうに言いました」
――そこでRyo選手の中では、区切りはついたと。
「そうですね。そこだけに固執もしていませんでしたし、自分は自分で、未来くんは未来くんであって、道は異なるけれども、格闘技を辞めるんじゃなく舞台が変わるんなら、そこでまた自分を表現できたらいいので」
――ちなみに当時の朝倉未来選手に関しては、戦ってみてどんなところが強いと感じましたか?
「判断力の早さですね。あとはちゃんと的を射る、パンチの的確性、それと、目がとてもいい。試合の配分ペースも熟知している……そういったところがやっぱり他の選手よりも長けていますね」
――当時から今に繋がる強みがあったのですね。ただ、組技の部分では、Ryo選手が分があった。
「当時はそこにおいては僕のほうに分がありましたね」
――その後、エドモンド金子戦とか、マックス・ザ・ボディ戦は、なぜかライト級でした。実際のRyo選手の適正体重は?
「フェザー級ですね。当時の前田さんの信念みたいなところがあって。フェザーにしようかライトにしようか、迷っていると相談したことがあって。初めの頃は、『いまはナチュラルでバンバン練習して勝って、変に減量しないで取れるものを取ってもっと強くなることを考えなさい』と言われたので、それに準じてライト級でもやっていましたね」