「世界にウクライナの国旗を見てもらいたかった」(スヴェッキスカ)
試合前、スヴェェッキスカは、RIZINでの前戦を家族がネットでライブ観戦していたことを明かしていた。
「家族や友人がライブで見ていて、私は負けてしまったけれど、自分の頑張りや能力を最大限発揮したことに満足してくれました」
戦争が続くなか、GP1回戦後もウクライナで練習することを選んだ。ワルシャワで書類を準備し、いったんフィンランドに出て、長時間のフライトを経て、来日を果たした。
「1回戦後、別の国でトレーニングしようかとも思ったけど、自国で自分のトレーナーと、自分の慣れ親しんだ環境で練習するのがベストだと思いました」
予断を許さない母国の状況を思うとき、それが現在進行形であることを、スヴェェッキスカは語る。
「ウクライナにはとても良いニュースも入ってきています。ロシア軍によって占領された領土が部分的に戻ってきたり、その一方で、この間にどれほどの人たち、一般の市民、子供や軍人が命を落とさなければならなかったかと思うと、嬉しいだけの感情にはなれません。つい最近、両国で合意があって、戦争捕虜がそれぞれ一定の国に戻れました。(マリウポリの)アゾフスターリ製鉄所に立て篭もって抵抗していた軍人が捕虜となりロシアに連れて行かれましたが、一部(※215名)が戻ってきました、それは大きな喜びでした。製鉄所の下で苦しい戦いを強いられていたわけですから。それが影響するかというと、何の影響もありません。なぜなら私たちの国では“まだ戦争が続いています”。いくら良いニュースがあってもまだ戦争が続いている。毎日、市民が亡くなっている状況が続く限り、状況をポジティブに捉えることはできません」
そのなかで、MMAの試合を自身が見せることに、想いがある。
「自分の主な試合の目的やモチベーションは、全世界にウクライナを見せたいということ。強く美しく、独立した国であることを全世界にもっと認識してほしいと思います。国民に勇気を与えるだけでなく。強い意志を持った国であることを伝えたい」
敗者から復活し、勇気を持って臨んだGP準決勝で、女王と対戦した。前戦では見せられなかったグラウンドの実力を発揮し、1Rでは、伊澤を思い通りにさせず、下からのヒジ打ちで攻勢にも立った。
「グラウンドでの時間が長かったのは事実だと思いますが、グラウンドでの勝負がやりにくかったわけではありません。今思えば、もう少しスタンドの時間があって、それからグラウンドに持って行ったほうが良かったのかもしれませんが、自分がやれるべきことは全てやりました。
伊澤選手がスーパーアトム級で最強の選手だとはもちろん知っていました。非常によい機会でしたし、新たな経験を積めたことで、これから自分のスキルやキャリアをさらにより良くしていける試合だったと思っています」
三角絞め狙いからの腕十字、分かっていても極められた一本負けと、試合後の交流で感情が高ぶったという。
「試合後に感情的になってしまい、記者の皆さんには、遅れてしまって大変申し訳ありませんでした。私の試合に注目して見ていただき、本当に感謝しています。日本での2試合を通じて、十分にトレーニングして、準備もしてきました。そういった準備を通して技術的にも精神的にも、非常に成長したと感じています。自分自身、立ち技でも寝技でも“格闘技というものが大好き”なので、不足していた部分を改善し、これからもどんどん前進していきたいと思います。
そして、日本のファンの皆さんからメールや手紙をたくさんもらったり、街で会うと挨拶してもらったりして、温かなサポートを非常に感じています。私はマスコミの皆さんやファンの皆さんからのサポートの気持ちを強く感じています。将来さらに鍛錬してより良い試合を見せることができるように頑張りたいと思います」と、“外敵”として海外から参戦するも、新たな日本との絆や期待にも応えたいとした。
「いまはほんとうに国は大変な状況です、実際に今日もまだ戦争が行われています。自分たちがスポーツに専念できることは、ある意味では、いま母国を守っている方々の活躍のおかげだと思っています。彼らにも心から敬意を表したいと思っています」と語るなか、試合後の伊澤の連帯に、目を腫らした。
同じ1997年の11月生まれの伊澤と、24歳の初秋に拳を交え、格闘技で語り合った。
「私にとっては伊澤選手が、一緒に国旗を持って掲げてくれたことを深く感謝しています。本当に素晴らしいサポートの気持ちの表れだと思っています──日本の皆さん、世界の皆さんにウクライナの国旗を見てもらいたかった、この国旗の色を覚えてほしかった──そういう意味で非常に貴重な機会だったと思います。対戦相手の伊澤選手、日本でサポートしてくださる皆さんに、心から感謝したいと思います」。