ISAO戦はベストパフォーマンスで、一番厳しい試合だった
──そうですね。後に米国に渡ってキングスMMAを起ち上げたコルデイロのもとで、いまネイマン・グレイシーは打撃を練習しているわけですから。そんなゴイチ選手が日本で大きく知られるようになったきっかけの一つは、2015年に、コバヤシ・イサオ=ISAO選手と「Bellator 144」で戦い、一本勝ちしたことでした。
「最初にISAOと戦うと聞いた時はナーバスになったよ。当時彼はすでにキング・オブ・パンクラシストで、マルロン・サンドロや ウィル・チョープにも勝っていたから──対面するのは正直、緊張していたんだ。勝てたのは、本当にしっかりと準備をして色んな事を犠牲にしてきたおかげだ。あの試合は自分の中でもベストパフォーマンスと言える試合だったし、一番厳しい試合だった。ISAOは日本人で、本当の日本人の血が流れていると感じたんだ。誇りと敬意をもったサムライのような選手で、最後まで絶対に諦めないんだ。これが日本人選手かって思いながら、戦っていたよ」
──試合は3R 3分50秒、リアネイキドチョークでゴイチ選手が一本勝ち。ISAO選手にとって、初の一本負けでした。あのフィニッシュも、ゴイチ選手が得意とするパームトゥパーム(手のひらと手のひらを合わせて絞める)での極めでした。
「自分の中でも得意な技だからね。ブラジルで柔術をする時もバックを取るのが好きなんだ。サッと後ろをとってフィニッシュする。それに道衣無しのMMAの裸絞めの場合は、パームトゥパームは作りが速い。道衣ありのようにジワジワ絞めるのではなく、組み手争いから一瞬の隙も逃さず極める。それにパームトゥパームも実は、少し変えているんだ。このMMAという競技は本当にどんどん進化していて、新しい攻撃もだけれど、ディフェンスもどんどん進化している。リアネイキドチョークはMMAではよくある技だけど、これもどんどんディフェンスが開発されているから、日々新しい事を学ばなければいけない。そして試合をフィニッシュする為の新しいアプローチを学ばなければいけないんだ。その新しいアプローチのリアネイキドチョークを週末、見せられる事を願ってるよ」
──その柔術が、昨年4月のダン・モレット戦でジャッジから評価されなかったことについては、どう感じていましたか。あなたはフラワースイープからバックを奪い、腕十字も仕掛けました。
「あれは……本当に最悪な出来事だったよ。試合内容は最悪ではなくて良かったと思っていて、本当に確実にあれは僕の勝ちの試合だった。でも、30-27だ。こんなことをするのは初めてだけど、あの試合後、いろんな人に聞いてみたんだ。正直に言っていいから、君の採点は? と。ほとんどが、30-27で何人かは29-28で、それでも全員が僕を支持していた。完全にグラップリングで支配していたんだ。それまでジャッジの個人情報を知ろうなんて思った事なかったのに、あの時、初めて誰がジャッジをしたのか、名前を調べようと思ったよ。こんな言葉を使いたくないけど、“犯罪だ”と思ったよ。選手は皆、人生を賭けて試合に挑んでるんだ。それを弄ぶことなんてあってはいけない。グラウンドを、柔術を知らないならジャッジなんてやるべきではない。もう過去の事ではあるけれど。あの試合でダン・モレットはただディフェンスをしていただけだった」
──自分もあの試合は柔術の意味をまったく無視したジャッジだと感じました。特に1Rと3Rをなぜゴイチ選手が落としたのか理解できなかったです。しかし、その後、2021年7月には、プロ6戦無敗のクリス・ゴンザレスを1R 右ストレートでダウンを奪ってのパウンドでTKOに下しました。モレット戦のジャッジが何らかの影響をあなたに与えたでしょうか?
「いや、モレット戦の判定はそこに影響していない。僕はもちろん対戦相手によって試合内容を変えている。その時々で、オーソドックスだったり、サウスポー構えだったり、ストライキング中心だったり、グラップラーになったり……対戦相手を出し抜く為でもあるし、そのときのコンディションによってスタイルを変えている。モレット戦で痛めた箇所があって──いまは完治しているけど──そのためにもスタイルを変えていた。どの道具を使うか、引き出しが必要だけどね」