涙を流しながら試合後インタビューに臨んだ小見川道大(C)ゴング格闘技
2022年2月26日(土)東京・後楽園ホールにて『skyticket Presents DEEP 106 IMPACT』が開催された。
メインイベントでは、小見川道大(NEO JUDO ACADEMY)が中村大介(夕月堂本舗)を相手に引退試合に臨んだ。
試合は、引退試合ながら「本気で勝つ気で最高の調整をして臨んだ」という小見川が、序盤はガードを固めての左右の打撃、払い腰でのテイクダウンなど見せ場を作り、中村のアームロック・腕十字からのエスケープにも成功したが、「3Rの戦い方をした」中村に、後半に反撃を許し、最後はアームロックからの腕十字にタップを喫した。
通算MMA戦績36試合20勝16敗1分。立ち技のシュートボクシングでも4試合を戦い3勝1敗の戦績を残した小見川は、試合後、柔道衣をまとうと、マイクを持ち「たくさんのご来場、ありがとうございます。柔道から格闘技に転向して17年。最初は負けが続きましたがだんだん勝てて、いろんな舞台に立たせていただき、最高の経験をさせていただきました。格闘技最高でした。こうして死なずに格闘技ができたのも長年やった柔道のおかげです。これからは色んな人を柔道で幸せにしたいです。横浜の青葉台で教えていますが、たくさんの子供たちが柔道を習っています。この子供たちが、柔よく剛を制す──社会に出ても、いろんなことにめげずに立ち向かっていけるような大人に育てていきたいと思います。柔道最高! そして、格闘技最高!」と挨拶し、10カウントゴングを聞くと、最後は、オープンフィンガーグローブをマットに置き、ケージを後にした。
小見川は、柔道で全日本学生柔道体重別選手権大会優勝、ハンガリー国際柔道大会優勝などの実績を持ち、MMAでは、吉田道場所属で2005年5月の「PRIDE 武士道 -其の七-」でプロデビュー。DEEP、UFCを経て戦極参戦。2009年8月の戦極フェザー級GPでは準優勝。DREAMで2連勝後、2011年2月から2012年8月までUFCに2度目の参戦で5試合を戦い、1勝4敗。
試合後の囲み取材では、2007年から2008年の2連敗と合わせてオクタゴンでは通算1勝6敗のUFCを、キャリアのなかで「もっとも辛かった時期」と振り返っている。
その後、2019年6月のDEEPでオーロラ☆ユーキ、10月に毛利昭彦を相手に2連続フィニッシュ勝利も、以降はMMAから遠ざかっていた。2016年10月の巌流島全アジア武術選手権で準優勝、2021年7月のQUINTETでは自身の率いるチームを優勝に導いているが、MMAは毛利戦以来2年4カ月ぶり。2021年12月19日で46歳になっていた。
バックステージで小見川は、最後の試合を「子供たちにも柔道教えてる身なんで言っているのは、『試合っていうのは自分の鏡。自分自身がしっかり映し出される鏡』だと。今日、僕自分の姿はしっかりと見えていた。ほんとうに勝つ気で臨んだんですけど。“あぁ、これが今の自分の現状なんだ”と。ほんとにぎりぎりでやったつもりだけど、でも勝てなかった。これが本当に自分の現状」と、試合を通して、引退すべき時期を再確認したという。
そして、あらためてMMAキャリアを振り返り、やり残したことを問われ、「やりきりました。(これをやっておけばということは)今はもう無いです」ときっぱり。
涙を流しながら「これが小見川道大で、最後、絶対勝てると臨んで、やっぱり向かい合ったら怖い自分もいたし、それでもやっぱり行かなきゃいけない自分もいた」と、小見川道大として戦う気持ちを吐露した。
トップ柔道家からMMAに転向し、世界の猛者と戦うことで、格闘技としての柔道を追求、“NEO JUDO”を抱げてきた。
「僕の中で、もともと柔道を長年やってきた自分が日本でも世界でも戦ってきて、やっぱり自分の中で柔道だけじゃなくて、柔道以外の異種格闘技において、ほんとうに自分の柔道がどれくらい強いのか、また、自分の柔道をMMAで開拓しながら、本当に楽しんでやってこれて、やっぱりMMAのなかの柔道で戦ってきた」という小見川。
「それを“NEO JUDO”と抱げてますけど、本当に自分を確立できたMMAだったと思います。“自分を確立できた”というのは“自分の柔道を確立できた”──異種格闘技の中で確立できた。これは嘉納治五郎先生もやりたかったことだと思うし、ブラジリアン柔術とかも小見川道場で採り入れてますけど、それも嘉納柔術、講道館柔道から行ったものなので。異種格闘技のなかで自分の柔道を拡げられたのはこれからの人生の糧になると思います」と、かつて“何でもあり”を想定していた柔道の心技体をこれからも伝えていきたいと語った。
NEO JUDO ACADEMEY主宰・小見川道場師範、小見川道大との最後の試合後の一問一答は以下の通りだ。