4年前にスコット代表に「機会があればそっちに行くよ」って
Bellator参戦を決めたのは、UFCから日本を主戦場に移したときのこと、そしてBellatorのベルトを返上した際に、スコット・コーカー代表とかわした言葉のことも影響したという。
コーカー代表からUFC以上のファイトマネーを積まれた堀口は、日本のMMAの再建をサポートするために、日本に戻ってRIZINで戦うから、Bellatorとサインできないと返答し、その際に、その役目を果たしたら、Belaltorで戦うテーブルにつくことを約束していた。
「せっかく2団体のチャンピオンになったのに、自分の怪我で不甲斐ないこと(返上)になってしまったので、ちゃんとそこは義理を果たしたかった。それに、自分は4年前にもスコット代表に、“機会があればそっちに行くよ”と言っていたのを思い出したんです。あのとき、日本の格闘技界を盛り上げたかったし、二瓶さん(弘宇氏。堀口の空手の師)がガンだった。KID(山本徳郁)さんも同じくらいの時期にガンになって、近くで自分の頑張っている姿を見せて、少しでも力になれればいいなとは思ってました」
拠点は、米国フロリダのアメリカントップチームだ。
所属したばかりの頃は「心を無くして」マシーンのようにただひたすら稽古を重ねていた堀口だが、真摯に練習に取り組む姿と実力が認められ、ジムの2階の寮は「ホリグチ・ホール」と呼ばれ、マイク・ブラウンコーチら同僚が、怪我からの復帰のサポートに尽力してくれた。いまではフロリダに家を構え、いずれATTでコーチをすることで恩返しをしたいという。
右膝前十字靭帯断裂と半月板損傷という重症を克服し、朝倉海へのリヴェンジも成功させた。
「ヒザを手術して切ったところはどうしても痛むけど、まあそれぐらいは問題ない。痛いながらもどう使うか、調整しながら動いています」という。
2016年1月にATT入りし、約6年かけて、もうひとつの“ホーム”で世界の頂を目指すことになる。今回の発表に「試合が決まりました。ベルト取りに行きます!! I will get back the belt」と堀口は、王座戦決定に意気込みを記した。
北米メジャーで、いかに堀口恭司はもうひとつのベルトを奪還するか。アメリカントップチームとの心の交流、そして唯一無二の空手スタイルを語る堀口恭司の1万字インタビューは、本誌『ゴング格闘技』NO.316にて掲載中だ。