RIZINバンタム級王者の朝倉海(トライフォース赤坂)が地元・愛知県豊橋市の禅道会豊橋支部を訪れ、自身の原点を振り返る動画をYouTubeにアップ。地元の後輩たちに稽古をつけた海は、かつての師匠たちと鼎談し、あらためて「世界」を目指す決意を語った。
朝倉海は、小学生の頃に兄の未来と共に空手と相撲を始め、高校時代に未来から突然仕掛けられた“路上スパーリング”をきっかけに、兄に連れられて禅道会豊橋道場に入門。本格的に総合格闘技を始めた。
今回、豊橋道場を再訪した海は、『地元のジムの後輩たちにガチ稽古つけてきた』と題した動画の通り、10月25日の「DEEP HAMAMATSU IMPACT 2020」に出場する壁谷勇佑、小谷壽彦らを相手にスパーリングを敢行した。DEEP浜松大会は、THE OUTSIDERで活躍していた朝倉未来&海の兄弟が2012年にプロデビューを果たしたマットでもある。
地元の後輩たちを相手に、連続でかけ稽古に応じた海は、スパーリング後の道場生からの質問にも丁寧に答えている。
カウンターを取るコツを問われると「相手のリズムを読むこと。みんなパターンが素直すぎる。フェイントを入れること」「相手の打撃に下を向かず、怖がらずに相手を見ること」とアドバイス。さらに「もっと脱力して、打つ瞬間だけ握れるようにミット打ちから練習すること」などを指摘している。
そして、師匠である禅道会豊橋支部長の宮野勝吉氏と、柔術&レスリング担当の勇川モラディ・メハディ氏との鼎談では、朝倉海の知られざるアマチュア時代の原点が語られている。
宮野氏は、1989年の「全日本北斗旗空手道選手権大会」軽量級準優勝者、仕事の関係でいったんは引退するも、1992年に4年間のブランクから復帰し、1994年の「全日本北斗旗空手道選手権大会」軽量級で再び準優勝となっている。また、禅道会の全日本RF(リアルファイティング)大会の基礎となる「ヴァーリトゥード実験マッチ」にも出場するなど、日本総合格闘技の黎明期を生きてきた指導者だ。
また、モラディ氏は、2005年の「第7回全日本RF空手道選手権大会」マスターズの部で82.5kg以下級優勝者。グレイシーバッハ長野で柔術も学び、2009年の「第10回 全日本ブラジリアン柔術選手権大会」では、アダルト紫帯レーヴィ級に出場。シングルレッグから飛行機投げでテイクダウンを奪い勝利するなど、レスリング経験を活かした動きも見せている。
豊橋で、この2人の個性的な指導者に巡り合った朝倉兄弟は、まもなくTHE OUTSIDERで結果を残していった。
今回、後輩たちとのスパーリング動画に続き、海は『黒帯三段もらった記念に昔勝てなかった師匠とガチスパーリング』を公開。自身のMMAの原点に触れた。
冒頭、宮野支部長から、禅道会5級の青帯だった海に「RIZINのチャンピオンになったので」と、飛び級で黒帯三段が授与された。嬉しそうに空手衣に黒帯を巻き、上段の蹴りを披露する海。
練習を始めて半年で新人戦で優勝。「夜勤で一睡もせずに出場した」という海だったが、入門当初は宮野氏は「最初は続かないだろうなと思っていた」と笑う。
それもそのはず、「兄貴が最初に入っていて、その半年後に兄貴が『俺よりセンスあるかもしれないからお願いします』と紹介されて。まだ小っちゃかったですよね。体重も軽かったし、総合格闘技を何も知らなかった」と海は言う。
それでも「ちょっと喧嘩したことあるくらいだったけど、最初から避けるのは得意だった。めちゃくちゃなんだけど当たらないみたいな」と、格闘センスには自信があった。宮野支部長も「なんかマトリックスみたいに(スウェイで)オーバーアクションだけど避けてた」と振り返る。
「格闘技を始めてから本当に楽しくて。毎日来てましたよね。皆勤賞でした」という海に、「よく来るなって。クリスマスイブの日も来たから『彼女、大丈夫?』って言ったら、『大丈夫です。彼女より練習が大事』って。マジかと思いました」と、宮野氏は兄を追って格闘技にハマっていく弟を頼もしく見ていたという。
入門当時の朝倉兄弟については、宮野氏は禅道会のホームページで下記のように記している。
「始めの出会いは、兄の未来くんが私が支部長をする、空手道禅道会 豊橋支部へ電話してきました。喧嘩に明け暮れていた彼は生意気にも『空手二段なのですが、体験させてください』『僕より強い相手がいないので』と言うので、『僕も空手三段だけど、多少君の相手にはなれると思うよ』と伝え稽古の約束をしたんです。ここでも稽古の成果が出たと思います。実際に稽古に来た未来君と相手をすると、格闘技の未経験だったのでまったく相手にならず。その人生初の敗北? がとても楽しかったようですね、正式に禅道会 豊橋支部に入門しメキメキと強くなっていきました」
「半年くらいして未来君が『自分より才能があるかもしれない』と豊橋支部に海君を連れて来たんです。その時の印象は学校帰りの彼をみて、静かでナイーブな内気な少年が来たな、と思いました。私が気さくに『練習やる?』と聞くと言葉少なく、こくりとうなずく。そんな感じでしたね。実際に練習をすると『楽しい』と嬉しそうにしていたのを今もありありと思い出します。始めた当初からパンチや蹴りの避け方に異常な身体能力の高さを感じたので、これはプロとして第一線で活躍できるな! と直感がありましたね」