海は簡単にタップしない。「この人我慢強いなあ」と絞め続けたら──
【写真】宮野氏とモラディ氏を中心に。未来、海はまだ金髪姿だ。(C)禅道会豊橋支部
「空手」を名乗るが、禅道会は総合格闘技色が強い団体だ。小沢隆師範に師事した宮野氏は、MMA空手の稽古、ムエタイ修行、柔術習得にも励み、豊橋支部を設立する。
そこに指導のパートナーとして加わったのが、柔術&レスリング担当の勇川モラディ・メハディ氏だ。
イラン出身のモラディ氏は、来日の経緯を「私はクルド人でイランの首都テヘランに生まれました。少年兵としてイラン・イラク戦争を体験しており、身を持って戦争やそれに伴う貧困を味わってきました。クルド人ということで様々な差別に合いましたが、『七人の侍』や『おしん』に憧れ、夢を抱いて1991年4月に来日。母国に比べて平和な日本を気に入りました」と語っている。
寝技を指導したモラディ氏は、今に繋がる海のファイターとしての気質をスパーリングでの出来事とともに振り返る。
「グラウンドやるときになかなかタップしない。もうあんまり我慢してね。意識が無くなっている。1回、ヤバかった。意識戻らなくて。彼、タップしないから。ずっと(道衣を)持ったまま『え、なんでタップしない? この人ちょっと我慢強いなあ』と思って見たら、もう意識無い!」(モラディ氏)。「癖になるから止めた方がいい、と言ったんだけどね」と苦笑する宮野氏。
師匠たちの証言に、「あーよく失神してましたね」と苦笑する海。「ほんとうに負けず嫌いで。モラディさんとかにも絶対に勝てないのに、負けず嫌いで極められたくないからタップしないんだよ。で、いつも失神する。しょっちゅうでしたね。そういうの」と言いながらも、「誰よりも負けず嫌いで、そこは今でも変わってないですけど」と、チャンピオンになった今でもその勝気な性格は変わっていないと話した。そして、「まあ、タップさせられることはもう最近はあんまり無いですけど」と、付け加えることも忘れなかった。
「海、デカいやつでも平気で向かっていったもんね」という宮野氏。
「昔からそうでしたね。自分より体格の大きな人。同じ階級で相手がいなかったから。しかも結構ガチスパーばっかやっていた。上の階級の人に向かっていくことで、勝負度胸みたいなものがついたのかもしれないです。モラディさんも『自分より大きな人とやれ』と言ってましたね」と海は、豊橋の道場で負けん気や勝負度胸がついたという。
「デカイ人とやることでこっち(海)が強くなる。大きな人にメリットは無いけど、小さな人にはメリットがある」と、階級上の選手との練習の利点を語るモラディ氏。
豊橋を離れた後も海の試合は欠かさずチェックし、「グラウンドのレベルが上がっている。この1年の間に、柔術で言えば茶帯から黒帯に上がっている。黒帯、私も出そうと思っている。このくらいの実績だったら認めてもいい」と、知られざる海の組み技の進化についても言及している。
海も「試合で寝技やってないから、寝技弱いと思われている。(隠せているのは)良いことでもあるんですけど。モラディさんは普通の柔術じゃなくて、もともとレスリングをやっていたから、レスリングと柔術がミックスされたようなちょっと特殊な技術だから、僕にもそれのベースがある」と、MMAに必要なレスリング&柔術の技術が、モラディ氏を通してアマチュア時代から育まれていたことを明かした。
2017年6月10日「ROAD FC 039」で海は、ムン・ジェフン(韓国)に3R KO負けした。THE OUTSIDERでは60kg以下級で負けなし。ROAD FCでは2試合連続1Rフィニッシュでフライ級タイトル挑戦も見えていたなかでの敗戦だった。強打を誇る海にとってプロ初の黒星で、KO負け。夜6時までデンソーに務めていた海にとって、1日2時間だけの練習で臨んだ国際戦だった。試合後、「練習内容も考え直していちからしっかり作り直したい」と語っていた海は、兄の未来と共に故郷の豊橋市を離れて上京し、練習拠点をトライフォース赤坂に移している。
「ずっとここで練習して、ROAD FCのときもここで練習していた。負けて、東京に行くことを決めて。そのときに支部長もモラディさんも快く送り出してくれた。そのときどんな気持ちで送り出してくれたのかなって」
海の問いかけに、宮野氏は言う。
「昔、北斗旗で戦っていたとき、俺もサラリーマンで仕事しながらやっていたけど、2、3時間しか練習できなかったから。専門でやっているプロの連中には勝てないなと思った。トップでやっていくには厳しいと。そういう気持ちがあったから、海も一緒だなって」
モラディ氏も同じ思いだった。
「私も自分の息子が歳が近くて、当時ブラジルに住んでいた息子と重なってね。いつも息子と同じ目で見てる。それで(海が)東京に行くときになんかすごく悲しくなって。結婚して家から出る感じ。そんな気持ちになっていたけど……でも行かなくちゃいけない。なぜなら、もう教えること終わったから。これ以上のレベルはウチでは教えられない。もっと上に行かなくちゃいけない。だからその気持ちも、目指すんだったら日本だけじゃなく世界を目指す、UFCを目指す、そういうレベルの高いものまで目指す(べき)」
「守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」の言葉通り、海は、師匠の教えを守り、その型を破り、型から離れて自在となるも、根源の精神は見失わなかった。
「そう言われていたんで、もう。いまRIZINのチャンピオンになりましたけど、全然、そこ(日本だけ)を目指してなかったんで、ほんとうに最初からUFCのチャンピオンしか目指してないんで、まだまだ通過点だと思っています」と海は語る。
「将来は明るい。ただ、あんまり自分が満足して鼻が高くなったらダメ。なぜなら上を見るとまだ上がいる」とモラディ氏は教え子に諭す。
2020年8月10日、扇久保博正に1R TKO勝ちで王座を獲得した海は、今回の帰郷を地元凱旋とはしなかった。
「もうほんとうにトップ目指しているんで。ここから世界チャンピオンになって、UFCのベルトを持って帰って来ないと。だから、僕、RIZINのベルトを今日、持って来なかったのは、そこがゴールじゃ無いんで。やっぱりUFCのベルトを持って来て見せたい。そのために頑張ります。また豊橋に来たときにはぜひここに来たいと思っているんで、今後もよろしくお願いします」
「楽しみ。私の夢はそこ。それだったら私も満足」と目を細めるモラディ氏に大きくうなずく宮野氏。
鼎談後には、師匠2人とのスパーリングを行った海。詳しくはYouTubeの「KAI Channel」を見てほしい。そこには、新たに巻かれた黒帯の道衣を着た海と、55歳の宮野氏による、格闘家同士の魂の交流が見られるはずだ。