彼に何かあったら、RIZINで戦えなかった
「いま思えば」と石渡は振り返る。
「スパーリング後、永井は歩いていたりもしたので、『もう帰って休みなよ』と言っていた可能性もあったなって。あそこで帰らせていたらアウトだったかもしれない。あのときは会員さんもいて、ほかの選手もいたのですが、あの後、ジムのみんなでミーティングして、あらためて『監督がいないときはスパーリングをしない』『頭痛があるときは練習禁止』『実力差があるときの練習のやり方』などを確認し合いました。どんな状況であろうと、頭が痛かったら休む。間違いないです。命より大事なことはないですから」
後遺症が無く退院出来た永井は、26日後のさいたまスーパーアリーナに足を運んでいる。石渡と佐々木憂流迦の試合を観戦するためだった。
「病院に搬送された彼に何かあったら、自分は佐々木憂流迦戦(2019年7月28日「RIZIN.17」ノースサウスチョークで石渡が一本勝ち)、出来なかったと思います。憂流迦戦、本人が来てくれて、勝ってバックステージに行ったら、泣いて喜んでくれて……『ありがとう』って僕も言って。ほんとうに後遺症も無く帰って来てくれてよかったな、と思いました」
事故の当事者として、ジム内でのことを公にするにはリスクもあり、実際に様々な反響があった。
「今回の件は、本人の許可を得て周囲には話していましたが、格闘技のことをよく知ってもらうために、今後、少しでもこういった事故を減らすためにも、一般の人にも公開した方がいいと思っていました。1年が経って、永井本人と代表(奥野泰舗)とも話をして『知ってもらうべき』ということで、今回、ツイートをしました」
一年前自分とのスパーリングで急性硬膜下血腫になってしまいました。
— 石渡伸太郎 (@caveshinta) July 3, 2020
緊急手術をして奇跡的に後遺症も無く元気になってくれました。
本当に格闘技は死と隣合わせだと再認識しました。
今後少しでもこういった事が減るように当時の様子を書きます。 https://t.co/GNWJaU50qc
その言葉は、選手のみならず、メディア側からも絶えず発信していかなくてはならないことだ。それは身体を酷使しながら、身体を守るという矛盾のなかで競い合うスポーツを見せるうえで、最低限の条件となる。