“競技者としてやっている人間たちの戦い”を見せたい
——今日は、悔しさだけじゃない言葉も聞くことができました。柔道をやってアマチュア修斗から出て、戦極を経て、パンクラスで王座を獲得し、防衛を続けてきました。海外も視野に入れていた石渡選手がRIZINに出ると聞いたとき、個人的にはちょっと意外でした。
「分かりやすい言葉で、4年前に対戦した『堀口くんにリベンジする』と言ってきましたけど、堀口くんが言っていたように、日本でもこの競技がスポーツとして認知されたいっていう……それを僕も一緒にやりたいという気持ちがありました。その主役は僕がやりたかったんですけど、それは取られちゃったけれども、“競技者としてやっている人間たちの戦い”を見せたいって」
——それを地上波で、世間に届く形で、堀口選手や大塚選手とだったら見せられると。
「それをしたいという思いがあって……。パンクラスで世界にこういうスポーツがあるって伝え続けた。パンクラスは世界標準のスポーツにしていくってことでルールも変えた。僕も同じ思いで戦っていたので、それをRIZINの舞台でも示したかったです」
——その思いはいろいろなところで伝わっていると思います。29日の試合後、バンタム級GPの試合を見たマッチメイク担当の柏木信吾さんが泣いていました。「選手たちに感謝です。この試合を本線に……」と。テレビ放送というしばりがあるなかで、体重超過の試合が中止になったことも、直接的ではなくても、GPの試合が影響を与えていると思います。何よりファンが支持をした。
「そういった意味では、仕事はしたのかなとは思いました」
——まだ、心身ともにダメージの残る状況ですが、今後について考えていることはありますか。
「競技者としてはダメージと相談しながらなので、簡単に『あと5年頑張ります』とか言えないですけど、次が最後になるかもしれないし、もう最後だったのかもしれないし……競技者としては、試合が終わったばかりのいまはなんとも言えないです」
今回の試合は「OTOKOGIとアメリカの戦い」だった
——「競技者としては」という言い方に、石渡選手のなかにはもう少し俯瞰した立ち位置を感じます。
「今回の決勝は──スポーツとして認知されたいと思っている人間が、日本じゃ出来ないと言ってアメリカに住んでいる状況があって、一方で日本ではTeam OTOKOGIを作ったわけじゃないですか」
——はい。海外での出稽古を繰り返すだけでは外国人選手に及ばない。かといって皆が皆、現地にずっと滞在することも出来ない。ならば、向こうで練習してきたこと、考え方を学んで日本で採り入れようと。
「そうです。それに各コーチの繋がりという面も。組み技のコーチと打撃のコーチが、試合の時だけ一緒にいるんじゃなくて普段から繋がっていて、試合が決まったら話し合って作戦を立てられるような環境を作りたかった」
——実際、植松直哉コーチも新井誠介コーチも共に練習から見ていますね。
「だから……今回の試合はOTOKOGIとアメリカの戦いだったんです。それで、完敗だったわけです」
——……そんな想いも抱えて臨んでいたんですね。VTJ後、一時期は、堀口選手もOTOKOGIに出稽古で通っていました。そしてUFC参戦を決めて、渡米した。
「だから、またそこからなのかなって。僕はアメリカで住んでやっていくというのは考えていないので。これは今後もずっと日本人選手が背負い続ける課題だと思うんです。ほんとうはMMAの業界を変えるような仕組みを作っていかないといけないのかなというモチベーションはすごくあるんですけど……どうしていいか分からないし、賛同する人がどれだけいるかも分からない」
——そこはメディアも含め、世間の意識を変えて、ファイトスポーツとして成り立つよう、スポーツとして認められて様々な場面で予算がつくように働きかけていかなくてはいけないです。そんななかで、石渡選手は日本の環境においても強くなれるように、と考えている。
「はい。堀口くんと1対1で戦いましたけど、チーム戦だったんです。OTOKOGIのコーチたちと出て、向こうはアメリカのコーチたちと出てきた」
——そうですね。かつてはDEEPで戦い、WEC、UFCで活躍したマイク・ブラウンが堀口選手を指導して、打撃コーチと共に乗り込んできた。ただ、堀口選手も米国での練習がほんとうに気がおかしくなるほど孤独だと、吐露していました。
「そうでしょうね。やり続けてすごいですよ。誰もができることじゃないことを彼はやっている。ただ、日本人ファイターとして僕は、やっぱり日本で強くなっていきたいんです」
——それを証明したかった。
「どういうモチベーションで、これから何をしようかなって、試合後ずっと考えています。環境づくりが先だと思うんです。今、日本だと少し賢くて、自分でいろんなことを消化できる人間はある程度まで上に行ける。でもそうでない人間もいる。底が上がるとたぶん上も上るんじゃないかって」
——ボトムをもっと底上げしたいと。
「いまOTOKOGIに入れる人たちは、何とかしようという選手ばかりだし、ある程度の所得がファイトマネーで得られる人たちじゃないとできない。でも格闘技って、効率よくやれば練習はそれほど長くないじゃないですか。例えばアルバカーキ(ジャクソンズMMA)に行っていたときなんて、朝練習して、昼過ぎぐらいにレスリングやって、もう終わりなんです」
——その間の時間も含めて、人生を充実させている。
「日本の場合だったら、選手がその後にしっかり働ける。例えば朝と昼に練習して、それがちゃんとシステムとして確立されたもので、ちゃんと強くなれる練習であれば、その後に時間があるから、将来のために勉強して時間を使ったり、収入を得るために使ったりとか、そういうことができて、人生をもっと前向きに進んでいければ、よりファイターとしても集中できて、もっと優秀な人材が入って育っていくんじゃないかなって。そういう思いが、試合が終わっていろいろ考えていくうちに、浮かんでくるんです」
——有望選手には住み込みで指導をしてもらい、スポンサーも見つけて、という形を試みているところもありますね。
「アメリカで修業中に、イジーの姿を見てて、ほんとうに素晴らしい職業だなって感じたんです。選手たちを引っ張って、人生を明るい方向に持って行って、レスリング選手だったら、奨学金でいい大学に進学して、両親からも感謝されて」
——それを日本の格闘技でも実現させたいと。格闘技のジムやクラブが文化としてアメリカの生活のなかに根付いていて、周囲の理解もある。格闘技は人生を豊かにするものだと。日本ではオリンピックスポーツでは国や企業がサポートして成り立っている部分もありますが、そうではない格闘技は……。
「格闘技を一生懸命やればやるほど社会人としては遅れていくという状況じゃいけない。そうじゃない人たちは、本当にごくわずかのトップの人たちだけでいいのかって」
——優秀な人材が離れなくてもいいように。いまは年齢との兼ね合いのなかで、その焦燥感の中で強くなっていかなくちゃいけない。
「僕もずっとそれと戦ってきました。だから、それを変えたい。年齢だけは本当にもう取り戻せないので、僕がまだ24歳だったら自分がやって見せればいいんですけど、そうじゃないのであれば、環境を作らないと。自分が戦いながらそれができれば一番いいんですけど……。OTOKOGIはそういった環境づくりの一歩だったんです」
——そのために、より多くの人に見てもらえる場で、2人の試合をやる必要があったんですね。観てもらえれば、それが体重差や技術差のある試合とは違うと分かってもらえるだろうと。しかし、その役割は選手に背負わせちゃいけないです。メディアも言い続けないと。
「それをしないと、たぶんこの業界は終わっちゃう。下火のまま、あるいは小さなブームのままで。……イジーを見て、この人みたいになりたいなという気持ちがありました。それは、自分が競技者として今回で一区切りついたとか、競技者としてもう諦めたとか、そういったことではないんですけど、今の僕のモチベーションは、これまでとはもう一つ違うものを追い求めながらやる時期が来たのかな、とも思っています」
誰ともやり残していない。でも最後は……
——今回の試合で、ファイター石渡伸太郎の知名度が上ったのもたしかだと思います。
「いまはいいランクまで来れましたけど、たぶん、最初は誰も僕のことなんか気にしてなかったし、そこから比べたら、ずいぶん成長したな、とは自分で思っています」
——もっと対価を得るべきだと思いますよ。
「時代が悪かったとか、業界が悪かったとか、あと10年違えば状況も違っていたというのは分かっていますけど、そんなことを言ってもしょうがない。だからこそこういう新しいモチベーションがあるとも言えます。格闘技そのものは、一生やめられないと思うので、僕は。一生強くなり続けたいと思っているんです。だから、たぶん止められないと思います」
——格闘技と生きていくと。
「競技者としてMMAをやっている。それが一番だった。そのなかで、例えば、柔術にチャレンジしたい気持ちもあります。パンクラスのチャンピオンとして柔術大会に出たら……青帯で勝てば文句を言われるだろうし、紫で出て負けたら、あいつ負けたよって叩かれるかもしれない(苦笑)。いまのモダン柔術のなか青帯で出たからって優勝できるとも思えないですけど、そういう動きや考えをMMAにもっと採り入れて、後進に伝えたいという思いもあります」
——ベンソン・ヘンダーソンも普通に柔術大会に出場して、勝ったり負けたりしています。別の競技ですが、格闘技として同じだと考えられることが、豊かさじゃないでしょうか。
「すぐ飽きちゃうので、僕(笑)。柔道や柔術とか、いろいろ戻れるものはずっと長続きするんです。でも、SNSとかを見ていると、『また試合を見たい』とか書いてくれている人たちがいると、また見せたいっていう思いもあります」
——あえて聞きますが、4年越しだった堀口恭司戦以外に、やり残した戦いたい相手などいますか。
「いないです。誰ともやり残してないし、やり尽くしました(笑)。ただ、ひとつ少し心残りがあるとしたら……、もしいま止めたら、パンクラスが最後じゃないんだな、という気持ちはあります」
——デカゴンのなかで……。
「勝とうが負けようが、ずっと注目されなかった。それがパンクラスで花開いたというか、一緒に育ててもらったという思いがあります。だから、最後がパンクラスじゃなかったら、悔いが残るかなとは思います」
——分かりました。まずはゆっくりと身体を休めてください。どんな形であれ、石渡選手の今後に注目しています。まだダメージが抜けないなか、今日は長時間にわたり、お話を聞かせていただき、ありがとうございました。
「ありがとうございました」
【取材を終えて】
インタビューは1月某日、「OTOKOGI」練習が行われている駅近くの喫茶店で収録された。ドクターから激しい動きを止められている石渡自身は練習に参加しないものの、この場所に足を運んだという。
ワンデートーナメントは、その苛酷さゆえにドラマが生まれやすく、主催者も我々メディアも物語を見い出し易い。よって、地上波等の放送機会を得たプロモーションは、そのチャンスを逃すまいと必死の思いのなかで、様々なカードのひとつとしてワンデートーナメントというジョーカーを使う。いつの世も負担を背負うファイターは、その代償と対価を天秤にかけるしかない。
しかし、今回のバンタム級GPの日本人選手たちは、それ以上の使命を持って、戦いに臨んでいた。インタビューで決勝の2人に、比較的試合の動きを中心に細かく聞いていったのは、「日本でも格闘技をスポーツとしてとらえてほしい」という両者の想いを汲んでのものだった。
言うまでもなく格闘技に限らず、スポーツは心技体、フィジカルもテクニックもハートもそれぞれが連動している。その選択や動きのなかに、様々な物語も含まれている。また、今回インタビューに登場した選手以外にも、日々の鍛練をこなし、タフな試合を越えたファイターにはそれぞれに物語がある。そこにどんな光を当てるのかは、伝える側の仕事となる。
そして、格闘技は直接、対人でフルコンタクトし、コントロールするという人類五千年の歴史の集積によって、いまがある。その豊潤な世界を探求し続けたのが、『ゴング格闘技』という格闘技専門誌の一面だった。
今回のロングインタビュー全編公開の再収録は『ゴング格闘技』本誌と、『ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017』のPRを兼ねての企画となる。今回のインタビュー同様、『ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017』もぜひ手に取ってていただければ幸いだ。格闘技の面白さ・奥深さを伝え続けることで、格闘技にかかわる人たちの人生が様々な面で豊かなものになることを願って──。(『ゴング格闘技』編集長・松山 郷)