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インタビュー

【特別再録】石渡伸太郎、格闘技と生きる~RIZINバンタム級GPを越えて~

2020/07/03 13:07
【特別再録】石渡伸太郎、格闘技と生きる~RIZINバンタム級GPを越えて~

2013年6月22日、「VTJ 2nd」で堀口恭司と5Rにわたる死闘を繰り広げた石渡伸太郎は、2017年12月31日、さいたまスーパーアリーナ最後の試合で、堀口と共にリングに立っていた。

高校、大学と柔道部に所属しながら、総合格闘技の練習を始めた石渡は、2005年アマチュア修斗で初のリングを踏み、戦極を経て、2011年、パンクラスで王者となった。

防衛を重ねるなかで、海外修行も経験し、“日本で強くなる”ために「Team OTOKOGI」を結成。その集大成として、堀口との再戦に臨んだ。

キング・オブ・パンクラシストとしてRIZIN参戦を決めた石渡は、2017年の年末、3試合を戦い抜くなかで、何を考え、何と戦っていたのか。

入院した夜、無くした記憶が戻ってくる恐怖があった

——RIZINバンタム級GPでは12月の29日と31日で3試合を戦った石渡伸太郎選手に、今回は主にGPの各試合について、お話をうかがいます。2017年は5月にハファエル・シウバを相手に5R戦いパンクラス王座防衛、10月にGP1回戦でロシアのアクメド・ムサカエフに判定勝利。そして年末にケビン・ペッシ、大塚隆史、堀口恭司戦と、強豪ばかりと5試合を戦ったことになります。

 特に、年末は2試合の「勝者」でありながら、決勝で敗れたことで「敗者」として年越しとなりました。あの日、GP敗者のコメントもすべて聞いていったのですが、石渡選手だけは病院へ直行したため、話を聞くことができませんでした。今日は、石渡選手がGPでいかに戦ったのか、あらためてお話をお聞かせください。

「はい、よろしくお願いします」

——まずは、決勝の堀口恭司選手との試合後のことを教えてください。かなりダメージがあったと思うのですが……。

「GPの決勝が終わった後は、記憶が飛び飛びだったので……。最初は全部記憶がないところから始まって。リングサイドにいったん座って、控え室に戻るときはトーナメントのことを覚えてないし、RIZINに出たことすら覚えてなかったみたいです。それでセコンドから、『心配しないで、段々思い出すから』って言われていたみたいで……」

——大会に出たことも飛んでしまった……。いまは大丈夫ですか?

「いまは全部覚えています。試合の相手の動作も、ラウンド中のことも覚えているし、それに対して何をしたのかも全部覚えています。ただ……退場していったところだけは覚えていないです」

——負けた直後、どうやって控え室に戻ったのか覚えていない。

「それだけは出てこないんです」

——閉会式に姿はありませんでした。

「式、出られなかったです。後輩が出たらしいですけど。控室に戻ったところからスイッチがパチンと入って。『ココどこ? 何コレ?』ってなって。試合したこと自体を分かっていないし、両脇を抱えられてるから、『何やってんスか?』みたいな感じでした。『お前、堀口と試合したんだよ』って言われて。『やりましたね、でも4年前ですよ』って。そこから記憶を戻すことが始まったんです。『お前、大塚隆史に勝ったんだぞ』って言われて。『勝ちましたよ、3年前ですよね』って。『いや、今日やったんだよ』『2試合も今日やるわけないじゃないですか』って言い返して。そんな感じで『試合後』が始まったんです。思い出す最中にも時間が飛ぶんですよ。ぐるぐるって飛んで、ハッて戻ったり」

——控室でなだめられながら、少しずつ思い出していった?

「そこから次の記憶は、病院に向かっている車のなかなんです」

——……後遺症が心配です。病院ではどれくらい思い出しましたか。

「そのときはほぼ思い出しました。RIZINに出たことや、3試合やったことも。脳震盪が大きかったので、『CT撮りましょう』と。『ちょっとこれだと1泊入院させたほうが安心ですね。翌日も撮って大丈夫だったら退院しましょう』と言われました。その日の夜は血尿も結構、凄くて……。血の原液みたいな血尿が出たときは、死ぬんじゃないかなって一瞬、思いました」

——正月をそんな状況で迎えていたんですね。

「その夜は怖かったんですよ、なんか。病院の先生が言ってたんですけど、無くした記憶を取り戻すって怖いらしいんです。ブワーッて戻ってくるときにすごい恐怖感があって」

——フラッシュバック的な感じでしょうか。

「そういう怖さです。それでうなされてました」

——悪夢の初夢ですね。

「とりあえずは検査入院だったので、1月2日の夕方には家へ帰れたんです。でも、その後で治療費の請求が来て……それも悪夢でした」

——それはちゃんと必要経費に回してください(苦笑)。元日は病院で過ごして、痛む身体を引きずるようにして帰ったのではないですか。

「それが不思議なんですけど……元日から、もし脳震盪が無かったら、もう1試合やれって言われたらできました」

——どういう意味でしょうか?

「どこも痛くないんです。逆に29日の試合(ケビン・ペッシに1R4分31秒KO勝ち)が終わった後はあちこち痛くて、試合ってどんなにきれいに勝っても痛いんだなと思ったんですけど、31日が終わって、もちろん無傷ではないんですけど、過酷な状況で試合することに慣れちゃってて、もう1試合やれと言われれば別にできないことはないな、と思いました」

——うーん……心も体もそういうモードに入ってしまっていたんでしょうかね。でも、脳が揺れたのですから動いてはダメですよね。

「運動は禁止されました。力を入れたりするのも良くないということで、少しのんびりして。年明けは誘われたら、酒も飲まずに飯だけ食ってましたね、ずっと」

——暴飲暴食はしてない?

「いや、暴食はちょっと……。食あたりも経験して嘔吐と下痢を繰り返したり」

——……あれほどの激闘続きで、ダメージは簡単には抜けないんじゃないですか。では、体は動かさずにじっとしていた?

「自分のテンセンス(「TEN SENSE DAILY LIFE SALON」石渡が代表を務めるワークアウトジム&サロン)に行って、スタッフが指導してるところを、見学に行くみたいなことをしていましたね」

ペッシとは一つレベルが上だよというのは見せられた

——人に会うたびに大会のことを聞かれているでしょうけど、専門媒体らしく格闘技の話も聞かせていただきたいと思います。まずは、バンタム級GPを通して考えると、12月29日の試合の前に、福岡で10月、ロシアのアクメド・ムサカエフと戦っています。いま見返すとムサカエフ、かなり厄介な相手だったんじゃないかと思いました。一本でも差したらブン投げてしまう相手に、よく立ち上って勝ったなと。

「分かってもらえたら嬉しいです。ムサカエフ、実力のある選手だと思います」

——シード選手と比べたら、石渡選手は1試合多く戦ってきたわけですが、2回戦の相手ケビン・ペッシはムン・ジェフンに競り勝ってきた選手でした。ジェフンといえば根津優太選手、朝倉海選手、アンソニー・バーチャック選手に勝っているわけで、ペッシもしっかりとした実力を持っていることがうかがえました。そしてリーチがある。

「フフフ、それが何を勘違いしたのか、どこかの資料を見て、身長を173cmと思ってたんです。実際には178cmで、手足の長さは日本人でいえば180cmくらいの長身選手の感覚でした。でも173cmだと思い込んでいたから、計量のときに見たら、なんかデカくねえか? って(苦笑)。試合が始まって向き合って、1発目の打撃が来たときにやっぱり『あっ、デカッ』と。ずいぶん制空圏が広いなと思ったんですよ」

——いきなり廻し蹴りを続けて打ってきましたね

「試合前のインタビューを見たら、全局面で自信を持っているんだなと思ったんです。ハイキックを蹴ってきたときに、彼の蹴りがムエタイのようにしっかり腰を入れる蹴りじゃないことは事前の研究で分かっていたんですけど、腰は入れなくてもスピードがあって長かった。だから、1Rにしっかり対処して削っていく作業が必要だなと思ったんです」

——アウトMMAをやられる可能性も考えたと。

「このペースではこいつ動かないだろうと。組みに来たのは、自分のヒザが効いた部分もあると思います」

——確かに、ヒザ蹴りを受けて引き込むような形で組んできました。その前にもシングルレッグを仕掛けてきましたが、石渡選手の片足立ちのバランスと対処には定評があります。そこを切られたペッシは、ヒザも突き上げられて組みを選択した。ジェフン戦で再三、バックを取ったように寝技にも自信があったんでしょうね。

「でも組んだときに力の差があるなと思いました。四つで組んでるときに重心が高かったし、タックルに来たときにすごく安易に寝たんです。もちろん僕が切ったんですけど。切られたにしても彼は立つべきだった。でも背中をつけて下からシンプルな腕十字とか仕掛けてきたから、ナメられてんだなと思ったんです。三角(絞め)とか取れると思ってんのかよと思って」

——下からの十字、三角を防がれたペッシはいわゆる柔術立ちで立ち上がってきました。

「こっちも別に寝かし続けようというつもりはなかったので、距離を近くしてパウンドや鉄槌で削ろうというくらいでした」

——そして再びスタンドに。遠間からローも蹴ってきて、制空圏が長いペッシにどうやって石渡選手が打撃を当てるんだろうと思っていました。

「スタンドの打撃のディフェンスが穴だと思っていたんです。でも距離は長い」

——フィニッシュの場面は……、オーソドックス構えのペッシがサウスポーの石渡選手の右前足にローを蹴って来て、それを石渡選手は前足をすっと引いてかわしました。そこにペッシは左ジャブから右ストレートのワンツーで前に詰めて来ました。そこに……。

「ジャブの打ち終わりでしたね。右に回りながら右フック、得意技です」

——かわして回ることで距離を潰したと。ペッシは前のめりに倒れて、追打もいらないほどの一撃でした。

「そんな倒れる? と思ったんです。あれを当てて次に繋げる用意もしてきたんで。でも実はずっとやってきたことがあって、フィジカルの部分で当たったときに強く打てるように強化してきたことがあったので、それがうまくハマったのかなと、少し自信になりました」

——しっかり拳も返っていました。

「そのあたりのフォームもいろいろ考えてやってきたことがあって、それらがピシャッとうまくハマって、あんな倒れ方したのかなと。自分が思っているよりも、当たると大変なことになるかもと思いました。あと、一つ良かったのは、あのあたりとは一つレベルが上だよというのは見せられたのかなと」

——なるほど。得意技を磨くために、取り組んできた成果が出たわけですね。しかし、この試合が終わっても優勝するためには、1日置いてあと2試合勝たなければいけない。どのように過ごしましたか。

「終わってとっとと帰って寝て、起きて。30日は計量は無くてもファンミーティングがあったので、さいたまスーパーアリーナまでまた行って、それを朝からやっていました」

——それは連戦する選手にとっては、キツいですね。

「関係ないです。精神的なものだけです。そういうことを嫌がらなければいいだけで。ただ、帰ってきてジムでコンディショニングしてるときに、あちこち痛かったんです。相手がちょっとつまずいたときに顔のあたりを蹴って蹴り足を痛めたりとか、肋骨や古傷も痛めてました。そういうのもあって……大変だけど頑張ろう、と。1日空いての連戦は初めての経験ではありましたけど、ここで戦うということは“そういうものだ”と思って作ってきてたので」

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