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コラム

【1995年4月の格闘技】大会随一の名勝負でグラウベがニコラスを大激闘の末に降す

2020/04/16 17:04
【1995年4月の格闘技】大会随一の名勝負でグラウベがニコラスを大激闘の末に降す

前評判通りの技と力が交錯するクロスゲームとなったグラウベ(左)とニコラスの準決勝戦。重量級とは思えないほど上段の蹴り合いとなった

 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。27回目は1997年4月20日に東京・両国国技館で開催された極真会館主催『1997全世界ウェイト制空手道選手権大会』で“大会随一の名勝負”と謳われた一戦。

 極真会館初の世界ランキング決定戦として開催された『1997全世界ウェイト制空手道選手権大会』。重量級にはフランシスコ・フィリォ(ブラジル)、グラウベ・フェイトーザ(ブラジル)、ニコラス・ペタス(デンマーク)の“外国人三強”が顔をそろえ、日本からは入澤群、田村悦宏、高尾正紀、志田清之の4名が出場した。

 その中で順調すぎるほど順調に準決勝へ勝ち上がってきたのは、グラウベとニコラスだった。


(写真)ハイスピードで上がってくるグラウベのハイキックを防御するニコラス

 準々決勝でグラウベは野生の力を爆発させた。餌食となったのは日本選手団の主将・田村。開始直後、グラウベの変則的な上段廻し蹴り=ブラジリアンハイキックが火を噴き、第24回全日本選手権王者の田村が文字通りマットに“轟沈”した。テレビのアナウンサーは「田村、まったく動きません! 日本、また一人消えていきます」と絶叫した。戦慄が走るようなこのシーンは、試合開始の太鼓が鳴った9秒後に生まれた。

 第6回全世界大会の後、持病であった腹部ヘルニアの手術を受けたニコラスは、養生も万全で、大会前から絶好調が伝えられた。約1年半ぶりの試合にも「多分、身体は動くと思うよ。見ていてください」と大会前に話し、準々決勝では入澤を圧倒した。

 グラウベのパワーか、ニコラスのスピード&テクニックか? 両者の準決勝は序盤から激しい攻防が続く。ニコラスが流れるような下段廻し蹴りを繰り出せば、グラウベは必殺の膝蹴り、フェイントをかけるような上段廻し蹴りで応戦する。


(写真)後ろ蹴りなどの回転技を繰り出すニコラスだがグラウベの懐は深い

 世界大会の時と比べてグラウベの技のスピードははるかに増している。上段への蹴りが繰り出されるたびに客席からは驚きの声があがる。それをニコラスは素早い身のこなしでかわし、カウンター気味の下段廻し蹴りを叩き込んでいく。この揺さぶりが意外に効果があって、本戦の判定は2-0でニコラス有利。

「本戦は勝てると信じていたし、勝てたと思った。副審の旗が2本上がった時は“お願い!”と心の中で祈ったよ」と、後にニコラスは振り返る。だが無情にも主審の手は上がらず、延長戦へ突入。結果的にここが運命の分かれ道だった。

 延長に入るとグラウベの突きが冴え始め、次第にニコラスの動きは衰えていく。それでもグラウベの大技を間一髪で凌ぎ、再延長戦に一縷の望みをつないだものの、時間の経過とともにニコラスの表情には悲壮感が漂った。耳からの出血も痛々しい。


(写真)判定負けが告げられるとガックリと肩を落とすニコラス

 最後の判定は4-0でグラウベ。その瞬間、ニコラスはがっくりと上体を折り曲げた。試合場中央で互いの手を掲げ合う両者に、万雷の拍手が湧いた。ニコラスは泣きながら「チャンピオンになれよ。決勝で全力を尽くせ」とはなむけの言葉を贈った。

 ニコラスは「強い、ムチャクチャ強いよ、グラウベは。今までにこんなに疲れた試合はなかった。全力を出したよ」とコメントし、最後に「この試合、みんな覚えていてくれるかな」とつぶやいた。

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