ニューヨーク・クイーンズ区のヒラタ氏の自宅の裏庭でシャドーに励む魅津希。(C)On The Road Management
「ニューヨークにとって、9.11同時多発テロが最も暗い日のはずだった。そして今、私たちはこのサイレント・キラーのせいで、さらに多くのニューヨーカーを失っている」──ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事は、2020年4月9日の会見でこう語った。
新型コロナウイルスの全米の感染者数は4月11日時点で、50万2,876人(死者1万8,747人)、うちニューヨーク州では17万2,358人(死者7,844人)に上っている。それは、世界のどの国よりも多い数字だ。
そんなニューヨークで、長くファイターのマネージメントを務めるシュウ・ヒラタ氏は、UFCをはじめとする世界のプロモーションに数多くの選手を送り込んできた。しかし、このコロナ禍でほとんどの大会はストップ。選手たちも自宅待機を余儀なくされている。
ロックダウン中の同市で、「息ができずに喘いでいる人のみベッドが与えられる」というエルムハースト病院近くで、ヒラタ氏が目にしている現実とは? そんな最中のUFCの大会強行宣言と中止に至る経緯とは? そして、いま選手たちは、我々は何をすべきなのか──対コロナ最前線のニューヨークから、シュウ・ヒラタ氏が語る、前篇。
外の家族は、入院して隔離された患者とトランシーバーで泣いて話していた
【写真】平日正午の42丁目と6番街の交差点。「向こう側に1ブロック行くとタイムズスクエアですから、通常ならこんなに人がいないことはありえない」(ヒラタ氏)
――ファイターをマネージメントする会社「On The Road Management」を主宰しているシュウ・ヒラタさんですが、現在ニューヨーク市のクイーンズ区に事務所を構え、日本の選手たちの面倒もみておられます。今回は、現在の米国・主にニューヨークの新型コロナウイルスの拡大状況とそれに伴う格闘技界への影響をうかがいます。クイーンズ区というと、いま米国でコロナウイルスと戦う最前線の病院があるところと聞きました。
「そうなんです。今ニューヨークのコロナの震源地中の震源地と言われているんですけど、ウチから歩いて10分以内のところで、以前は選手がインフルエンザにかかったときに、そのエルムハースト病院の緊急病棟に連れて行ったこともありますが、今はもうあそこに近寄ることは出来ません。緊急病棟にはよほどのことがない限り来るな、という指示が来ていますので。要は救急車を呼ぶくらいの重症じゃない限り、家でなんとかしろという状況です。それなのに『今エルムハースト病院に行ったら人がいない、コロナ震源地だというのはフェイクニュースだ』と一部の人たちが騒いでますけど、3月末ぐらいまでは検査を待つ人で長蛇の列でした。それで逆に感染者が増えたから、今はよほどのことがない限り病院には行かないですね」
――すでに「もはや発熱と咳だけでは検査を受けられない。入院する必要がない限り、新型コロナウイルスの検査を受けてほしくない」という現地の医師の悲痛な言葉が報道されています。今シュウさんは、どんな生活を送っていますか。
「ほとんど自宅待機ですね。食べ物を買いに行ったり、どうしても仕事上、人に会わなくちゃいけないときは時々は出ますけれども、ほとんどは家で過ごしています。ウチはラッキーなことに裏庭があるので、そこで、UFCファイターの魅津希選手のトレーニングに付き合ったりもします。友達からマットを借りてきて、庭にマットを敷いてロープを引いて、今ウエイト器具も探していてそれを借りてきて、最終的には僕、パット持たされてますよ、(苦笑)」
――魅津希選手の弟の井上直樹選手がパットを持っている姿は見ましたが、今はマネージャー自らパットを持って相手をしていると。
「RIZIN参戦中の井上直樹選手は一旦、帰国したんです。なぜかといいますと、ビザの発給作業を待っているところで(コロナウイルスの影響で)止まっちゃったじゃないですか。そうすると、米国にいる滞在日数がどんどん過ぎていってしまうので、意味がないということで、1回、日本に戻っています」
――家で体を動かしているということは、基本ジムも閉鎖されているわけですね。
「全部、閉鎖されています。行けないですね。シークレットでジムを開けて、会員を集めたりしたら罰金を食らいますからね。ただ、魅津希選手とか佐々木憂流迦選手が通うロングアイランドにある『Longo and Weidman MMA』では、クリス・ワイドマンの試合(vs.ジャック・ハーマンソン)が5月にスケジューリングされていましたから(※UFCが延期を発表)、プライベートで彼とスパーリングパートナーの2人だけジムに入れて、コーチはフェイスタイムを使って指示を出すという練習の仕方を時々していましたね」
――コーチは外から練習の様子を見て、指示を出していたと。
「外です。コーチは50代ですし、感染の恐れを考えたときに近づかない方がいい。試合についても、早くから絶対キャンセルするべきだと言い続けていましたね」
――ニューヨーク市の街中の状況はどんな感じなんですか?
「それが最近になってちょっと嫌なのが、生活保護の対象にならない物乞いが多くなりましたね。不法滞在の方もいっぱいいて、酒屋が開いているブロックに集まるんです。ほとんどの酒屋が閉まっているのに、なぜかウッドサイドのウチの近くの酒屋だけ開いていて(苦笑)。明らかに治安が悪くなってきたな、というのは肌で感じています」
――世界で最も感染者数の多い街になってしまいましたが、街中ではどのような規制がありますか。
「政府からは基本的に、必要以外のときは絶対に家にいろと。もし外出しても、他人との距離をおよそ1.8メートル以上保つ『ソーシャルディスタンス』を守らなければいけません。スーパーマーケットでのレジ待ちでもみんな2メートルくらい開けて並んでいます。守れない場合の罰金の上限も500ドルから倍の1,000ドル(10万8千円)に引き上げるとも言われています。それに、もしも商業施設などでイベントオーガナイザーみたいな人が、人を集めて何かをやっているのがバレたら、マックスで罰金2,000ドル(約21万6千円)取られます。スーパーマーケットなどでも必ず2、3人は警官がいて、いろいろ注意をしたり、チェックをしているので、けっこう徹底しています、そういう点では」
――シュウさんはマスクは手に入っていますか。
「普通にマスクは入手できます。例えばマーケットとかに行くと、マスクを配ったりしてます。持っていないと『着けろ、着けないなら入ってくるな』という感じで。ただ、エルムハースト病院から徒歩5、6分くらいにあるスーパーは一時期開いていたんですけど、全部閉まりました」
――ああ、感染を恐れて。そのあたりの温度差は日本とは違いますね。
「かなり違いますね。日本の電車がまだ混んでいるとか聞くと驚きますね。近くのエルムハースト病院では、実際に新型コロナウイルスで家族が入院すると、隔離されて死んでいく人と会えない。外でトランシーバーみたいなもので泣いて話をしている姿を見ていると、ちょっとこれは……と思いますよね。遺体を安置する場所が足りないので、病院の横に冷凍トラックを駐車し、そこに遺体を安置して、ブロンクス沿岸のハート島にある集団墓地に運んで遺体を埋めている。家族は感染リスクがあるので、死に目に会えないばかりか遺体にも会うことさえできない。辛いですよ」
健康で大丈夫だと思っていても、ウイルスを周囲に撒き散らす可能性がある。大切な人にうつしてしまう可能性があるんです
【写真】誰一人乗っていない、平日の昼間のニューヨークの地下鉄。
――現地に住んでいる感覚だと、どのあたりから一気に増えていった感じですか。
「カリフォルニア州とニューヨーク州の外出禁止令実施には5日程のズレがあった。そこで死者の数が随分差がつきました。あの約1週間が一番ポイントだったと思います。これだけ人口密度が多いところで、仕方がない部分はありますが、外出禁止令を早く実施していれば、これほどの爆発的な感染は防げたんじゃないかと思いますね。だから、東京は大丈夫かなと心配しています。検査をしている人が異様に少ないですし、実際には無症状の病原体保有者で、外を出歩いている人がいっぱいいるはずですから。
日本の方々には、自分が全然、健康で大丈夫だと思っていても実は感染していて、それを周囲に撒き散らす可能性があるということに気がついてほしいです。たとえば、ジムで練習しても大丈夫だったではなく、家に帰って知らず知らずのうちに大切な人にうつしてしまう可能性がある。その人に疾患があり、免疫力が下がっていれば、感染に対応するのはかなり難しい。他の人をそういった状況に陥れてしまう可能性があるということをもっと自覚して行動した方がいいと思います。大変なことになる前に」
――たしかに。外出を控えている人をも危険に晒してしまう。アンドリュー・クオモ知事は初動の遅れを批判する声もありますが、その後の日々の声明などでリーダーシップを発揮しているようですね。「人の命か経済か」という選択はナンセンスで「どちらも大切」というスタンスに立ち、事実を隠さず現実と向き合っていると。
「我々からしたら、朝からずっと毎日のように記者会見をしてくれているので、けっこう安心感はわきますよね。彼は悲観的なことも前もって言ってくれるし、今はもうみんな家にいてテレビをつけるしかないわけですから。そこで常に新しい情報が入る。それに比べると、東京は特に夜に外出するなと言われてるのに、小池都知事はなぜ夜に会見するのかな、と疑問に思ってしまいます」
ウイルスと付き合って生きていくしかない。家賃が払えず潰れるジムも出てくる。いつ経済活動を再開できるか
【写真】2019年8月31日、中国・広東省深セン市で計量オーバーした中国のウー・ヤナンに勝利した魅津希。後方にヒラタ氏の姿が見える。C)Brandon Magnus/Zuffa LLC/UFC
――米国では、2001年の9.11同時多発テロ以来の危機、日本では2011年3.11東日本大震災に続く危機とも言われています。そして世界中で、現代の人がこれまでに経験したことがない難問に向き合っていかなくてはならない。新しい価値観の中で生きていかなくてはいけないですね。
「ウイルスの完全撲滅はできないわけですから、抑える薬とワクチンの開発を急いで、その間、付き合って生きていくしかないですよね。効果的な治療法あるいはワクチンが見つからない限り、感染拡大がいったん落ち着いた後で再び悪化する可能性もあるわけで。それとどう付き合うか。ずっとロックダウンをしていたら経済は破綻すると思うので、どこかのタイミングでそれなりの再開もすると思うんです。
ニューヨークでは死亡者は増えていますが、新たに入院した感染者は減りつつあります(※4月11日時点でニューヨーク州では感染者17万2358人、死者7844人)。ハドソン川埠頭には米海軍の巨大病院船も到着し、コロナ以外の患者を受け入れ、医療機関を後方支援するようですし、クオモ知事も『流行はピークを迎えつつあり、経済活動再開の計画に着手できることをこれまでの傾向は示している』と語っています。落ち着きが見えてきたら、とりあえずどうしても現場に出なくちゃいけない職場の人は復帰して、自宅でできる人は自宅で、と段階的に社会活動が活発になってくると思います。
そんなときに我々が一番気になるのはジムですよ。一番、必要性が低いから最後に開けろとか言われちゃいそうで(苦笑)。身体的にもメンタルの健康面でも必要なはずですが。アメリカのジムのオーナーたちはみんな悲鳴を上げています。50パーセントくらいの割合で、どこのジムも退会者が出ている。月謝が入ってこなければ、例えばニューヨークなどは家賃が高いですから、ものすごく厳しい状況になっています」
――潰れてしまうジムも……。
「出てくると思います。クオモ知事は家賃の支払いについて90日間の猶予を設けたのですが、ニューヨークシティはそういった方針の実行は早いです。その点でもう一つ感心したのが、こんな仕組みです。感染防止で家に籠ってうつになったり、子どもを虐待したり、DV(ドメスティックバイオレンス)をする人が35パーセントくらい増えていると。DVを受けて怪我をした人は薬局に薬があるか、と問い合わせをするケースが多いので、そんなときに新しくできた法律が、薬局に電話をして、DVを起こした人にバレないようにある暗号を打てば、自動的に警察に通報が行って、現場に確認が行くという法律ができたんです。
そういったセーフティネットを早く実現させるアメリカはすごいなと思いますね。日本でそれをやったらめちゃめちゃ時間がかかりそう。緊急事態だからこそ、州や市レベルで動くことが出来る。その部分で安心感みたいなものを感じないわけではないんです。何と言ってもこれからは未知の領域ですから。誰もこれが正解だというのが分からないなかで、新しい考えやシステムを模索していかなくてはいけない」
――さて、そんな状況を理解した上で、米国におけるスポーツ・格闘技界の動きを俯瞰すると、様々なニュースに実感がわいてきます。シュウさんは、UFCにも多くのファイターを送り込んでいますが、4月18日に予定されていた『UFC 249』の開催中止に至る経緯も、マネージメントとして直にやりとりをされてきたかと思います。ダナ・ホワイト代表は、新型コロナウイルスが感染拡大するなか、ニューヨーク大会が不可能となったときから、プライベート島での開催、さらにコミッションの管轄外である先住民居留地のカリフォルニア州タチ・パレスでの開催案など、終始決行を宣言してきました。どのように感じていましたか。(※この項、続く)