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2025年5月31日(土)14時から、韓国仁川のパラダイスシティで開催される『RIZIN WORLD SERIES in KOREA』のセミファイナルのバンタム級戦で、韓国のキム・スーチョル(ROAD GYM WONJU MMA)と対戦する佐藤将光(坂口道場一族/FightBase都立大)。
▼第10試合 RIZINバンタム級(61.0kg)5分3R
キム・スーチョル(ROAD GYM WONJU MMA)23勝8敗1分 60.90kg
佐藤将光(坂口道場一族/FightBase都立大)36勝16敗2分 60.83kg
バンタム級屈指の好カードは、2012年6月の『ROAD FC 8』以来の再戦。前回はスーチョルが4R(延長1R)で逆転TKO勝ちしている。
佐藤は、ONEでハファエル・シウバやクォン・ウォンイルら強豪相手に4連勝、4勝2敗と大きく勝ち越し、2023年10月、負傷欠場の井上直樹に代わりRIZIN緊急参戦。太田忍に判定2-1で勝利すると、24年3月の2戦目では井上直樹とハイレベルな攻防の末、判定負け。9月に元フェザー級王者から階級を下げて来た牛久絢太郎に判定で完勝。今回、RIZINタイトルマッチ経験のあるスーチョルをアウェーで上回るか。
スーチョルはROAD FC推薦。23年のROAD FC 63kgトーナメントで優勝すると、24年4月のRIZIN日韓対抗戦で元PANCRASE王者の中島太一に2R TKO勝ちで対日本人10勝無敗に。9月、空位のRIZINバンタム級王座をかけ井上直樹と対戦し、1Rにキャリア初のKO負けを喫した。そのわずか1カ月後の10月、ROAD FC 63kgT準決勝で判定勝ち、12月の決勝戦でヤン・ジヨンのバッティングを受けてノーコンテストに。母国を舞台に初開催のRIZINで“レジェンド”が雄姿を見せるか。
本誌インタビューで佐藤は、「韓国に“借り”はある。ROADのチャンピオンをブッ飛ばせば、あの頃の自分で振った複線を回収できる」と語った。
僕もあの時は「勝った」と思って──
──いつも対戦相手は強い相手なら選ばず戦う、という佐藤選手ですが、今回の相手はキム・スーチョル選手でした。最初に聞いた時はどう感じましたか。
「ここで来るか、って感じでしたね」
──再戦が韓国でと。
「そうですね。どこかでスーチョル戦のオファーが来るだろうなとは思っていましたけど、ROAD FCトーナメントの決勝戦が再戦になると聞いていて(※ヤン・ジヨン戦がバッティングでノーコンテスト)、スーチョルとはしばらく戦えないと思っていたところ、オファーがあったので少し驚きましたね」
──ROAD FCのジョン・ムンホン代表が、RIZIN KOREAのために、いったんバラしてくれたようです。
「はい、それでこうして韓国大会で組まれるのはやっぱり感慨深いです。過去に対戦していて、2人とも紆余曲折があって」
──初戦を見たのですが、2Rにスーチョル選手の中に入った佐藤選手が、右から左でダウンを奪った。3Rが終わったときに“勝った”と思いました。
「僕もあの時は“勝った”と思っていて。延長(ラウンド)があるのも知らなくて……」
──どういうことだ? と。
「結構、面食らった記憶はあるんですけど。まあでも延長ラウンドでしっかり“やっつけられた”んで」
──当時から試合スタイル、構えからスーチョル選手も佐藤選手もかなり変わりましたね。あの頃のスーチョルと対峙したときに感じたことは?
「そうですね、お互いに変わりましたね。あのときは、結構臆病だなって思ってたんです。なかなか来ない。彼は結構サークリングして、今じゃ考えられないスタイルですね」
──あのダウンを奪ったシーンは覚えていますか。
「いや、覚えてないですね。あのやられたシーンしか覚えてない。今回試合が決まって、1回だけ見返したですけど、やっぱり参考にならない。彼の最近の試合ばっかり見てました」
──その1回見返したときに、その時の感情や、スーチョルの強さ・弱さも思い出したこともありましたか。
「ああ……最終延長ラウンドに、やっぱりこうガラッとキャラクターが変わったなという印象がありましたね。なんか、それまで臆病だったのに、なんか覚悟が決まったのか。延長ラウンドに入った瞬間、違う選手みたいになった」
──たしかに。でも正直に言うと、佐藤選手は本戦でダウンを奪い、3Rには両手を広げて圧力をかけていったほど戦い抜いて、まさかの延長Rとなったら、もう1度、気持ちを作り直すのは難しいのでは、と感じてしまいます。
「でもまあ、ルール把握してなかった自分が悪いだけですね、はい」
──あの苦い試合は、勝った試合を落としたと感じました。
「うーん、まあでも仕留められてるんでね、ちゃんと延長入って。はい、それはやっぱりもう、ちゃんと負けですね」
──2013年にムン・ジェフンと試合し、2015年にもう一度試合をして、それ以降、韓国での試合は無いですね。
「そうですね。韓国人とはONEでクォン・ウォンイルとキム・ジェウォンを相手に2回やっていますが」
──はい。ONEではいずれも佐藤選手が勝利していますね。あの2012年6月16日のキム・スーチョルから、2025年のキム・スーチョルはどう変わっていますか。
「もう全然違う人になってますよね。うん、やっぱりアグレッシブで。キャリアを重ねてアグレッシブ差がすごい勢いで加速してる。もう常にフィニッシュを取りに来る選手になってるし、本当に意識が飛ぶまで仕留めにくる。今はネジが外れているぐらい行ききれる選手になったと思います」
──佐藤選手は、この2012年を見ると、距離が近いです。
「そうですね。僕は逆にもうちょっと丁寧な組み立てになっていった。フェイントかけたりだとか、詰将棋的な戦い方に僕は変わっていて、まあなんか面白い変化ですね」
──それはなんかきっかけがあったのですか。
「いや、自然とそうなっただけですね。まあ、キャラクターもあるんじゃないですか? 人と人の性格っていうか]
──そういえば、2013年4月の『ROAD FC 011』では、3歳上の久米鷹介選手と同じ大会に出場しました。今日(※取材は5月24日に行われた)、さきほど久米選手が引退を表明しました。
「そうなんです。それで思い出していました。韓国に一緒に行ったなあと」
──あのとき、彼はROAD FCライト級王座決定トーナメント決勝まで進み、ナム・ウィチョルに延長安定で敗れました。
「そうでしたね。ナム・ウィチョルも強かったですね」
──40歳で引退した彼の軌跡をどう感じますか。
「久米さんって40歳なんですね。いやもう自分でやめるって決められるのがやっぱりすごいなと。やめどきをこう、自分で決めるのはなかなか出来ないなって」
──はい。同時に久米選手も「この歳まで、『強くなりたい』という自分のわがままを通し、競技を続けてこられた」いう表現もしていました。
「はい、やっぱり自分勝手じゃないとできないですよね。続けられないと思います」
──今よりもずっと外向きに対海外に挑戦していた日本人ファイターですが、佐藤選手はいま、30代中盤を過ぎて、MMAでやることが増えているように感じます。
「そうですね。伸びてる。伸びてるのをすごい感じますね。自分は終わるのはまだ先だなと思っていて、今のスタイル、伸び方を見ると。まだまだ全然伸ばせるし。今も若いやつとか全然やっつけれるし」
──技術も幅を伸ばしている。9月の前戦では、牛久絢太郎戦でのバッククリンチになりかけた展開で、片足フックからたすき掛けではなく、対角の肩をコントロールしに行きましたよね。
「ああ、あのバックが。あれめっちゃ得意なんです。シングルバックだとシートベルト式の腕のクラッチはバックから落ちやすいんで。ただ、井上戦でも牛久戦でも返されてて、ちょっと研究して、今もめっちゃやってますね」
──でも牛久戦では、こうして片足をかけて、その相手の切り返しに……。
「“ウスマン”使ってますね。“ウスマン”って呼んでるんですけど(笑)、ここで正対にギロチンを合わせた。ここのトランジションというか、繋ぎは結構やってますね。足も四の字フックだったんで、(ギロチン)いけるかなと思ったんですけど、胸をちょっと張られちゃって。左のヒジもちょっと落としたかったですね。今は、もっとここからの絞りとかスイープなど展開も上手くなって増えているし、このときも、立つ動きまで繋げられてるんで進化しています」
──どんどん繋がっている。
「そうですね。動きは“こうやった方が上手くいったな”とか、“自分が持ってる動きからこれはいけるな”っていうのはどんどん繋がっていってるし。コクエイ(マックス・コーチ)がいっぱいアドバイスくれるので。新しい技術も、“多分これ合うよ”とか。“これをやってほしい”とか言ってくれるんで、それでやっぱり入りやすいっていうのがありますね」






