足首への攻撃は、その相手のバックを攻めることができる数少ない技のひとつだ
しかし、ガウッシアが競技大会から離れている間に、グラップリングは急激な進化を遂げている。複雑な仕掛け、足関節のトランジション、スクランブルの攻防、カウンターのバックテイク……その流れをマルセリーニョはどう見ているのか。
「グラップリングはよく見ているよ。でも残念ながら、僕に刺激を与えてくれる人はあまりいないんだ。でも、タイ、ケイド(ルオトロ)、ミカ・ガルバォンのようなビッグネームもいるし、彼らは本当にペースを掴んでいる。だから、彼らの試合を見るのが好きなんだ
今日も若い人たちと一緒にトレーニングしていて、彼らが何か新しいことをやっているなと思う。ああ、僕はそのポジションを感じたことがないなって。でも同時に、僕はまだその動きに対して答えを持っているんだ。だからいい感じなんだ。僕が慣れ親しんできたものとそんなに違うとは感じない。僕がやったムーブはシンプルだが、まだ機能している。そしてひとつだけ言えるのは、2011年に競技をやめた後も、たくさん練習を続けているということ。だから、自分の柔術はもっと多くのことを含んでいると感じていたけど、その技を試合で見せることができなかった。だから、それはまだ新しいもので、これからみんなに見てもらえるような気がするんだ。今ならまだ、その技のひとつでもできるかもしれない」と、対モダングラップリングにも自信を見せる。
そして、今回のONEでの今成正和との試合。彼は“足関十段”として知られ、48歳のいまも進化したレッグロックを自身の動きに採り入れている。
「アンクルロックは僕の試合にはなかった。アンクルアタックを交わすようなプレーをする人の中には、とても柔軟な人もいる。しかし、多くの場合、彼らは他の人の足首をクランクさせる。僕は足関節の交換はしないけど、自分の足首を守る方法をずっと学んできた。自分にとってとても意味のあることなんだ。
足首への攻撃は、その相手のバックを攻めることができる数少ない技のひとつだ。首を絞め返す。僕が優位なポジションを取った瞬間というのは、相手が僕のタップに負けそうになる瞬間であるはずで、僕が今タップするかどうかを心配する必要はないはずなんだ」
そして、ギロチンチョークのひとつマルセロチンをはじめ、さまざまなチョークのフィニュシュを持つガウッシアは、近年失われつつあるノースサウスチョークについても語っている。パスガードし、スクランブルを押さえ込み、上四方で極める。
「ノースサウスチョークを学んだ人はあまりいない。以前のヒールフックと同じだ。ヒールフックは、多くの人がやっていなかったし、人々は守り方を知らなかったから危険だった。そして今、多くの人がヒールフックをやっていて、多くの人がディフェンスの仕方を学んでいる。ただ、彼らはまだノースサウスチョークを学ぶ必要がある。僕はリアネイキドチョークと同じように高いサブミッション率を持っていると信じている。
僕がみんなに見せたいのは、これだけ長い時間が経っても、僕たちはコントロールできるんだ、ということ。マインドは変わらないよ。僕のマインドは競技に出るには強すぎるんだ。金曜日に試合に出るんだということをみんなに見せたい。それが、また試合に出たい理由のひとつでもある。タイには家族も来るし、観客もいる」
今後について、ガウッシアは競技大会に出て行きたいという。
「大会に出ると、いつも自分自身が良くなったように感じるんだ。競技に出るときは、より体調を整えている。責任感も強くなる。試合に出れば、いつもいい試合ができるような気がする。だから、できることなら、可能な限りすべてに出場したい。みんながまだ僕の試合を見たがっている。自分が人に良い影響を与えることができるなんて知らなかった。自分がハッピーになることをすれば、周りもハッピーになる。だから、第一に自分が幸せでなければならない。
僕はあそこに行けると信じているし、いいショーを見せるために、みんなに全力を尽くすつもりだ。僕は『勝てる』と約束したことはない。若い頃もそうだった。でも、そのためにどうすればいいか、僕はまだわかっているんだ。みんな、きっと楽しめると思うよ」
柔術を通したマーシャルアーツコミュニケーションで、向き合うのは人だ。
「柔術無しで自分の人生や自分自身について考えることはできない。柔術をやっていると、お互いの距離がどんどん縮まっていく。つまり、柔術をやっていると、自分の気持ちを隠すことができない。それが僕の気持ちなんだ。そして、世界では人々が集まる必要があると感じている。僕たちは人々に直接会う必要がある。政治的なことよりも、人を見る必要がある。つまり、僕たちは人々を一人の人間として見る必要がある。僕は人々を一人の人間として見たい」──マルセロ・ガウッシアは今夜の『ONE 170』でグラップリング戦に復帰し、今成正和と相対する。