(C)ONE Championship
2025年1月24日(金)21時30分からタイ・バンコクのインパクトアリーナ(ケージ使用)で開催されるONE Championship『ONE 170』(U-NEXT配信)のサブミッショングラップリング無差別級で、今成正和(日本)と対戦するマルセロ・ガウッシア(ブラジル)が公式インタビューに応じた。
ブラジリアン柔術、そしてグラップリング界のレジェンド、“マルセリーニョ”ことマルセロ・ガウッシアは、約15年ぶりの試合復帰となる。
4度のADCC世界王者、5度のIBJJF世界王者であり、BJJの“GOAT”として広く知られているガウッシアは、2011年のADCC世界選手権でほぼ完璧なサブミッション・レートで金メダルを獲得し、頂点に立つと、米国ニューヨークにアカデミーをオープン。コロナ禍に伴い、ハワイに移住し、現在、41歳の彼は家族と過ごし、ニューヨークとハワイにあるワールドクラスのアカデミーを成長させることに力を注いできた。そして子供達の成長とともに、試合復帰への意欲が湧いてきたという。
しかし2023年初頭、食事中に違和感を感じたガウッシアは、念のため検査を受けた結果、胃がんと診断され、手術へ。マルセリーニョは、診断の知らせを受けたときのことをONEにこう語っている。
「“よし、これから何が起こるかわからない、まったく新しいことが始まるんだ "という感じだった。ただ、それを理解しようとしていた。ありがたいことに、物事は僕の助けになるように進み始め、がんも早期に見つかった」
がんと化学療法の治療によって、ガウッシアはトレーニングマットを離れ、ソファに座ることを余儀なくされた。ビデオゲームに明け暮れたのは、単に心を満たすためだった、と彼は冗談を言う。
それでも、がんとの闘いは怖かった。一番暗かった時、彼は自分の健康状態だけでなく、父親が見守るに値する2人の子供たちのことも心配した。
「そのとき、自分の命をかけて戦うのは、良いことではなかった。素晴らしいことではなかった。子供たちの父親の人生について話しているんだ。わかるかい? 僕は彼らの父親でなければならないし、より長くここにいなければならないから」
家族のことを第一に考え、ガウッシアは胃がんと闘うために必要なあらゆる治療を受け、寛解へと導いている。2025年5月には、再発率が低くなる3年目を迎える。約2年にわたる闘病生活を振り返り、ガウッシアは心身ともに立ち直りの早さに驚いている。
「治療を受けるのは楽しいものではなかった。結局、化学療法を8回受けたんだ。最初の4回は本当につらかった。最後の4回はひどくなかった。その8回の化学療法の間に、大きな手術を受けることになったんだ。その結果、胃や食道など、体内のさまざまな力が変化したんだ。
クレイジーなのは、治療を終えたのがちょうど1年前なのに、とても長い時間が経ったように感じることだ。正直に言うと、何もかも忘れてしまいそうだった。我々の身体が適応していくなんて、本当にクレイジーな経験だった。心が物事を忘れていくのもクレイジーだったよ」
2023年後半に、マルセリーニョは無事にマットに戻り、愛するグラップリングに復帰した。ONEのグラップリングに関わるレオナルド・ヴィエイラとの縁が再び繋がり、ONEサブミッショングラップリングに参戦する。
がんの診断を受けた当初は、生き延びられるかどうか、ましてや再びグラップリングができるかどうかさえわからなかった。だからこそ彼は、トレーニングやBJJの指導をしているときでも、愛する人と過ごしているときでも、生きている一日一日にとても感謝している。
「僕の主治医は何も約束してくれなかった。『あなたのようなタイプのがんにかかった若い人を診たことがないから、あなたに何ができるかわからない』って。だから、トレーニングができるかどうかもわからなかった。トレーニングに戻れるようになったとき、“ああ、これなら生きていけるかもしれない”と感じるようになった。“普通にロールできる気がする。教えられる気がする。必要なら逆さまになってもいいし、食べ物がのどを通るのに違和感を感じないような気がする”って。主治医は何も保証してくれなかったから、トレーニングに復帰できたときは、“よし、また働ける。また自分らしくいられる”と感じた。だから、トレーニングに復帰したときは最高の気分だったよ」
ガウッシアのポジティブ・マインドセットは、いかにして暗い時期を乗り越えたか。
マルセロ・ガウッシアが胃がんと闘い、BJJのトレーニングから遠ざかっていた1年間は、人生において何が最も大切かという貴重な視点を彼に与えた。
BJJの練習に積極的に参加できなかったことで、ガウッシアは自分自身の一部が欠落し、家族を養えていないと感じた。そのためには自身の身体にも気を付ける必要があること。そして、ようやくジムに戻ったとき、主に周囲の人たちのことを考えた。
「子供たちにもっといい子供時代を過ごさせてあげられたら。それが僕の一番の願いなんだ。だからトレーニングを再開したとき、“よし、これで毎日働けるから、家族のためにもっといい生活を送れる。今なら、おそらく自分が知っている中で最高のことができる”と。マットの上に戻ることができたとき、自分のことは考えず、柔術で再び生計を立てられることが本当に嬉しかったよ」