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高専柔道ゆかりの「無声堂」で井上靖『北の海』の世界を偲ぶ。七帝柔道OBら30数名が集まり技術交流と練習試合

2022/10/09 22:10

15人対15人の団体戦抜き勝負は、いまでも行われている


【写真】当時、常勝を誇った旧制六高柔道部。試合会場の京都武徳殿からの優勝パレードには京都市民が大勢詰めかけた。

 この高専柔道ルールは試合開始後いきなり寝技に持ち込んでもいいこと、15人対15人の団体戦抜き勝負で1試合が終わるのに数時間を要する総力戦だったこと、場外がないこと、寝技が膠着しても審判が「待て」をかけないことなどから、寝技研究の開発が凄まじいスピードで進んだ。

 また学校対抗戦の嚆矢として全国の100校以上の学校が参戦し、大変な盛り上がりを見せていたという(高専大会の「高」は旧制高校を、「専」は旧制専門学校を指す言葉。旧制専門学校は例えば名大経済学部の前身となった名古屋高商や大阪大学医学部の前身となった大阪医専などがある)。後に高専柔道の寝技技術は地球の裏側ブラジルにまで伝わり、あのグレイシー柔術にも大きな影響を与えることになる。


【写真】1951年にブラジル・マラカナンスタジアムで行われた世紀の一戦、木村政彦vsエリオ・グレイシー。当時のブラジル紙は、木村がエリオの肘を極める写真を大きく使って報じた。現在ではこの腕がらみは、世界で「キムラロック」と呼ばれている。

 現在、RIZINで活躍するホベルト・サトシ・ソウザや、クレベル・コイケら日系ブラジル人が、出稼ぎとして来日し、高専柔道からブラジリアン柔術に伝えられた三角絞めで、総合格闘技のなかで一本勝ちしていることは、そのルーツの国で高専柔道の技が回帰したことになる。


【写真】上はムサエフに三角絞めを極めるサトシ、下は朝倉未来を失神させたクレベルの三角絞め。2人は東京ドームで同日に同じ技で一本勝ちした。

 旧制高校生たちは上記のルールで自主性や協調性を涵養し、戦後の政財官界で正力松太郎(讀賣新聞社社主/旧制四高)、永野重雄(新日鐵会長/旧制六高)、松前重義(東海大学創設者/旧制熊本工専)ら、OBたちが活躍した。

 戦前の旧制学生では小学校6年間の後に旧制中学5年間があり、その後に旧制高校が3年、大学が3年間あったので、旧制高校生の年齢としては現在の大学生にあたり、卒業生のほとんどが帝国大学に進学した。


【写真】(左)井上靖が高専柔道のことを描いた自伝的小説『北の海』(当時中央公論社)の表紙。1968年から1969年にかけて中日新聞や西日本新聞などに連載され、柔道関係者に大きな反響を呼んだ。(写真右)『北の海』のなかに登場する一番人気のキャラ、柔道部に入るために何年も浪人しながら四高の近くに住んで柔道の練習ばかりしている豪傑“大天井”青年のモデル小坂光之介氏は、戦後、名古屋大学柔道部の師範を長くつとめた。これはそのときに巻いていた貴重な帯。

 現在でも全国7つの旧帝国大学(北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学)がこのルールを踏襲する15人対15人の団体戦の大会があり、七帝柔道、七大柔道などと呼ばれ、毎年7月に若者たちの熱い試合が戦われている。

 あるOBは「コロナがあってここ数年大変でしたが、ようやく高校柔道や大学柔道に活気が戻ってきて、七帝戦も再開された。この寝技の柔道に興味がある中学生や高校生はぜひ入学して柔道部に入部してほしい。井上靖先生の『北の海』の世界がここにはそのまま残っています。寝技には立技のような運動神経より、工夫や研究が活きるので、白帯からスタートした者や体格に劣る者でも強い選手たちに勝てるようになります」と語っていた。

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