RIZINでサトシと再戦したかった
──そうだったんですね。スパーリングとはいえ、ゲイジー選手と打撃でもレスリングでも五分以上に渡り合っていたのが印象的でした。さて、今度のBellatorデビュー戦の話の前に、昨年6月のサトシ戦について聞かせてください。あの試合は試合前の隔離もあり、今までで一番大変な試合だったのではないですか?
「確かに2週間の隔離もあったし、その前には戦争にも参加した。そして怪我もあった。それでも試合に向けての準備はよくできていたよ」
──それらが試合に負けた理由ではないと。
「うん。言い訳にするつもりはまったくないよ」
──あの試合の結果は残念なものでしたが、あの試合で驚かされたことはありましたか?
「いや、試合中には特に。唯一の予期せぬことは、試合前に怪我をしてしまったことだけだ。まあもう終わったことさ。今後さらに強くなろうと思ったよ」
──どこを負傷してしまっていたか、教えていただいてもいいですか?
「左の肋骨だ」
──それでは上半身の動きが制限されてしまい、世界最高の切れ味を誇るサトシ選手の三角絞めから逃げるのが、さらに難しくなりそうですね。
「確かにあの負傷は問題だったけど、でもリングに上がれなかったわけじゃない。言い訳にはならないよ」
──あの試合から学んだことは?
「向こうは僕がこれまで三角絞めで一本負けしたことがあるのを知ってたんだろうね。だからサトシもそれを使ったということだと思う」
──なるほど。あの日はチームメイトのウガール・ケラモフ選手も惜敗し、チーム・アゼルバイジャンにとっては辛い夜になったと思います。あの後チームでどんな会話を交わされましたか。
「Bellatorと契約するという道もあるということを話したんだけど、でもやはりRIZINでサトシと再戦したかったんだよ」
──昨年の大晦日ですね。でも結局サトシ選手との再戦は実現ぜず、今年からはBellatorを主戦場にすることを選びました。この決断の理由は?
「マネジャーにもそうしたほうがいいと言われたんだよ。Bellatorの方が強い選手が多いというのもある」
──RIZINで戦っている時には、自分の戦いを通してアゼルバイジャンという国を日本のファンに知ってもらいたいと仰っていました。北米でも祖国の名を知らしめたいという思いは?
「もちろんだ。アゼルバイジャンの旗をBellatorのケージで掲げたいと思っているよ」
──あなたが優勝した一昨年のGPは、アゼルバイジャンの公営放送で生中継されて、400万人の国民がそれを観たと聞きました。今回のあなたのBellatorでの試合も、アゼルバイジャンで中継されますか?
「いや、今回は残念ながら時差があるから中継はされないんだ。でも来年、Bellatorのトーナメントがアゼルバイジャンで開催されることを望んでいるよ」