初めての試合は両親に見せたくなかったけど──
地元の静岡で行われる今回は、両親を会場に招待する予定だ。
MMAを始めた頃は、両親を心配させたくなくて、2008年8月の「Club DEEP 浜松」でのデビュー戦と同日に、沖縄旅行のチケットを母に渡して、ひとり戦った。
RIZINの密着取材『Preparation』では、そのときのことを父マルコス・コイケさんと母シルヴァーナ・コイケさんが語っているが、尺の都合で多くのコメントが割愛されている。
そこではブラジルと日本の両国で差別を受けたクレベルの境遇も語られている。その言葉を下記に紹介したい。
──幼いころ、クレベル選手はどんな子供でしたか。
母シルヴァーナ とても活発でいたずらっ子な子供でした 喧嘩もして(苦笑)。
父マルコス 彼は良い子なので、最初は他の男の子たちが彼をいじめの標的にしようとしました。ブラジルでは差別がすごく多くて、クレベルには日本の血が入っているので、彼ら(ブラジルの子達)には“日本人は賢くなく喧嘩もできない”という風潮があり、彼(クレベル)をいじめようとしました。ブラジルでは「おい日本人」と差別をよく受けて、日本に来たら「外国人」と言われて。
──クレベル選手が格闘技を始めたきっかけは?
マルコス 私の父(クレベルの祖父)が空手の黒帯で、私の兄弟がカンフーを始めました。クレベルは彼らに影響を受けていました。
シルヴァーナ それで、4、5年くらい柔道をやったんです。15歳(※実際は14際)で日本に来て、ボンサイ柔術に入り、今に至ります。
──クレベル選手が格闘技を始めるのは心配ではなかったですか。
シルヴァーナ いいえ。でも最初の試合は私は見たくありませんでした。私たちがクレベルの試合の事を知ることがないように、彼は私に沖縄行きのチケットをプレゼントしました。そう、たしか最初のバーリトゥードの試合の時、全然知らなかったです。私が沖縄にいるときに彼は試合をしていました(笑)。
──今でもクレベル選手の試合を見るのは不安ですか。
シルヴァーナ いいえ 今は普通ですね。マルコスよりはよっぽど平静です。マルコスはあまり好きじゃないみたいですね(笑)。
マスコス 私はこれ(日本語で)“心が怖い”。
──前回の朝倉未来戦は東京ドームでご覧になったのですか。
マスコス 私は東京に行きました。クレベルの兄のクリスチャンも一緒で。あの入場曲(Pregador Luo - Ja Posso Suportar [feat. Trazendo A Arca]「何度疲れて止めようとしたか、何度怖くて泣いたか分からない。しかし、私は諦めない」)を聴くとエモーショナルになって、クレベルが入場すると涙が流れてきます。
―─次は地元・静岡の大会ですが会場で観戦しますか。
(2人とも)行きます。
──クレベル選手にメッセージを。
マスコス クレベルにとっての仕事が、彼にとってより良いものになるのであれば、それが戦いでもできる限り協力します。彼がもっと有名になって、ビッグになろうが、彼は常に私の息子であることには変わりません。ただ、彼が成功すればするほど私は感じてしまいます。彼がいくら成功しても、正直私はそこまで行ってほしいと思っていません。
自分の息子が戦って殴られている姿を見るのは簡単ではありません……。なぜなら私は彼の事をとても愛しているからです。いつも遊んで、話して、仲が良く、私にとって(試合を見るのは)本当に難しいです。私はとても彼を愛しています……(涙をこぼしながら)ただ、私はいつでも彼が少しでも彼にとっての最良であることを望んでいます。神が彼の人生、将来を手伝ってくれることを信じています。
私が彼にいつも言っているのは、『常に皆を助けなさい』ということ、日本にたくさんの日本人の友達もできました。ありがとうございます。
シルヴァーナ 私が彼に言いたいことは、私たちにとってクレベルは誇らしい息子だということ。彼はいつも夢に向かって集中してきました。いま本当に感謝しています。彼はいつも私たちに言います。『あの時に柔道に連れて行ってくれてありがとう』と。
いまクレベルは私たちの自慢の息子です。なぜなら彼は指導者になり、子供たちの目標になりました。そういうクレベルが、私たちに今でも『自慢の父母』と言ってくれます。
私は常に彼に言っています。『自分のルーツはどこなのか、人々への尊敬と感謝を、いくら成功してもそれを絶対に見失わないように』と。彼を愛しています。そして彼の幸福を祈ります。
マスコス 私たちはクレベルの周囲の人たちに感謝しています。こうして通訳してくれる友人のアドにも感謝しています。彼の人生にとってとても特別な存在です。どんな大変な時でも、いつも一緒にいてくれて彼を助けてくれています。そして、マルキーニョス、サトシ、ダイ先生、いつもクレベルを信じてくれています。彼らはクレベルのとても偉大な友人です。
両親からのメッセージを聞いたクレベルは語る。
「あのとき、初めてのMMAの試合で、お母さんは格闘技を好きじゃなかったので見せたくなかった。いまは違う。(会場に招待する?)もちろん。すごい嬉しいです。近くなので。家族だけじゃなく生徒も来るし、いい試合を見せたい。そして勝つ。一本で勝つ、間違いない」
このインタビュー後、クレベルは2つの夢を語っている。それは日本に根を張り、次の世代に繋ぐことだ。
「二つ夢があります。日本で家を買いたい。トーナメントで勝って、何回か勝ったらそれが出来るかもしれない。もう一個は、自分の道場を作りたい。奥さんと子供たちが名古屋にいるから名古屋かな。自分のジムを作って、子供たちを教えて、もう若くはない両親を助けたい。それがRIZINでの夢」
果たして、クレベルは夢を現実のものとできるか。