この試合には日本格闘技の歴史がある(青木)
試合のオファーがきた話 1月23日に書いた気持ち素直な気持ち|青木真也 shinya aoki @a_ok_i #note https://t.co/4EW6dFPv2j
— 青木真也 Shinya Aoki 文筆家 (@a_ok_i) February 4, 2022
青木は、2022年1月29日にSNSに「試合のオファーがきた話 1月23日に書いた気持ち素直な気持ち」を投稿。
「試合合意書」にサインしたことを明かすと、対戦相手には触れず、「試合当日に『青木真也』でケージに立っていることが大事」といい、「この試合には10年を超える日本格闘技の歴史があって、ただただ消費されていくカードではないと思っています」と、実現への思いを語っている。
青木は、DREAM時代に秋山に対戦要求したことがある。
【写真】スタンドバックからアオキロックで足を絡め、引き込んでフェイスロックからチョークを極めた。
2008年7月に「DREAMライト級(70kg)GP」で準優勝となった青木は、同年9月にトッド・ムーアをわずか70秒、フェイスロックでのリアネイキドチョークでタップを奪い一本勝ち。リング上で「秋山“マイケル・ジャクソン”成勲先輩、この大黒柱と試合をしませんか?」と対戦を呼びかけ、翌日の一夜明け会見でも「やらせてもらえるんであれば、僕は正々堂々と戦います」と対戦をアピールした。
【写真】DREAM最後の試合は道衣着用して戦った秋山。この後、UFCに参戦した。
当時の秋山は、8連勝で迎えた2006年の大晦日の桜庭和志戦のノーコンテスト後、デニス・カーンを1R KOに降し、2007年大晦日の「やれんのか!」で三崎和雄と対戦。サッカーキックで敗れたものの、後に反則の体勢だったことからノーコンテストとなり、その後、柴田勝頼を袖車絞め、青木がムーアを降した同日にもミドル級(84kg)で外岡真徳を腕十字で極めていた。
一夜明けてのあらためての青木の対戦要求に、会見に同席していた秋山は、「正直に言わせてもらうと、興味ないです。今は吉田(秀彦)先輩にしか目は行ってないので、そっちのほうに集中したい。(吉田戦を)やることに意味があると思っているんで」と眼中にないと返答。
“DREAMの大黒柱”を自負していた青木は、「今、青木真也は正直、悔しい気持ちで一杯です。DREAMが3月からスタートして、僕は一生懸命やってきた自負があります。でもそこで他団体の選手の名前を出されたり、DREAMでやりたいと言ってもらえないのは悔しい。自分はこの気持ちを持って、世界を見て魅力的な選手になります」と、秋山の対応に失望の表情を見せていた。その後、秋山は戦場をUFCに移し、夢のカードは実現不可能となっていた。