(UFC王者は)めちゃくちゃ厳しい道のりだけど、夢がある(未来)
「基本的に我流でしょ。トレーナーが付いたことがない。堀口(恭司)選手がアメリカに行っているように、アメリカのジムに死んだつもりで、少年院に入ったつもりで、1年半くらい入っちゃえば? したら、めちゃめちゃ強くなるんじゃない?」と、未来にあらためて米国行きを勧める魔裟斗。
「だって人生一回しかないからね。“あそこでやっておけば”って思っても時間は戻んない。まだ今だったら間に合う。いまのUFCとかを観ると、選手全員がアスリートですよね。アスリートのトレーニングをしないと一番のトップはなかなか難しいんじゃないかなって」と、世界との差を語った。
魔裟斗が未来に米国を目指せと言うのには理由がある。
魔裟斗がK-1 MAXのチャンピオンになった当時、日本には「世界」の強豪が揃っていた。そんな魔裟斗にとって、もうひとつの夢が、ファイトスポーツのメッカであるラスベガスで、K-1中量級の試合を認めさせることだった。世界中のトップボクサーたちが輝く場所で、K-1ファイターとして世界と戦うこと──その叶わぬ夢に、MMAであれば、挑戦が出来る。
「選手って一番、高いところに行きたいもんなんですよ。絶対に。やっぱ時間って限られるし、僕も若い頃いっぱい仕事をして、目先の金はいっぱい入るけど、そうするとやっぱりチャンピオンになれなくて、2回目の世界チャンピオンになったからこそ、いまも自由に生きていける」と、魔裟斗はファイターとして後悔のないよう、未来に世界への挑戦をうながした。
30歳での引退を表明しながらも、本誌の取材に「斎藤戦後にモチベーションが上がって、実際、辞められるか分からない」と話していた未来。魔裟斗は、「いまは34~35歳くらいまでは身体能力が上がるとスポーツ科学で証明されているからもったいないよ」と、これからに期待する。
「今、肉体的にも精神的にも、こっから強くなるときなんで、YouTube仲間も引き連れて、アメリカに行った方がいいんじゃないかなって。まだまだ若いし、総合格闘技だとアメリカに行くっていうデカい世界もまだ広がって行く。向こうへ行ったら、お金の額が違うでしょ。UFCでチャンピオンになった日本人もいないでしょ? 日本人で初めてUFCチャンピオンになったら凄くない? そこを狙えばいいんじゃないか」という魔裟斗。
続けて「俺が選手だったら絶対にそこを狙う。誰もやったことのないことに挑戦するっていう。リングの上の緊張感はあそこにしかない。喧嘩で勝っても周囲は喜んでくれないけど、リングだったらみんなが喜んでくれて、地位も名誉もお金も手に入る。その最高の舞台で一番光れる場所だから、それがUFCでトップになったら皆、尊敬するし、いいんじゃないかな」と、さらに熱を帯びた。
未来も「たしかにそれは夢がありますね、いいですね。頑張ります」と呼応しながらも、「めちゃくちゃ厳しい道のりですけどね」と、世界最高峰への道のりが簡単ではないことを理解している。
「でも人生って楽しても面白くないでしょ。辛い方が達成したときの喜びがある。そんな気がするんですけど」と語る魔裟斗に、未来は、「トーナメントのときに言ってましたね。ブアカーオと戦うときに、『一番厳しい道を行くのが……』」と、2007年10月の「K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント」で前年度王者を自ら指名した魔裟斗の言葉を引用。
魔裟斗も「そうですね。『一番辛い道を行くのが、一番成功の近道』って言いました」と、未来にもその気概があることを感じていた。
「人生、何かを得るには何かを捨てる必要がある。ほんとうにもしUFCでチャンピオンになるんだったら、YouTubeは捨てなきゃいけない、とかあるかもしれない。両方を得ることは難しい。欲しいものが大きければ大きいほど、捨てるものも大きい。ただ、YouTubeって、この状態は一生続くわけじゃない。何か自分の一生涯持てる──俺だったらK-1チャンピオンに2回なったこと──そういうものをひとつ持っていると、歳を取ったときに、これを持っててよかったなと思えて、それが助けになる」との魔裟斗の言葉に、「絶対そうだと思います」と頷いた未来。
「魔裟斗さんと対談したら格闘技にかける気持ちが倍増した」と言う通り、ファイター朝倉未来の心が燃えたようだ。