「150年に一人の天才」としてWBC世界ミニマム級王者、WBA世界同級王者に輝いた大橋秀行氏。引退後は、大橋ボクシングジム会長として“ラストサムライ”川嶋勝重、“激闘王”八重樫東、そして“モンスター”井上尚弥ら世界に誇る名王者を生み出してきた。「人生そのもの」といわれる拳闘に、40年以上にわたり携わる大橋会長が、「人間」を語る新連載・第3回。
Q.「年齢で可能性は変わるか?」
「35歳会社員です。そろそろ転職がギリな年齢かと思い、いろんなサイトへ登録を始めようかと思っています。ボクシングも年齢が重要なポイントになると思いますが、大橋会長も別の世界へのチャレンジは早いほうがいいと思いますか?」
大橋秀行会長「“ラスト・サムライ”に見た本気」
「チャレンジに年齢は関係ありません。私のジムで初めての世界チャンピオンになった川嶋勝重は21歳でサラリーマンを辞めて、まったくの未経験から『世界チャンピオンになりたい』と言って私のジムにやってきました。友人が大橋ジムの選手で、彼の試合を見て『自分も輝きたい』と思ったそうです。
しかし、私はその年齢から始めてもプロでは通用しないだろうと、止めました。しかし会社を辞めてしまって入門する。入門してからも練習は熱心でしたが不器用でね。5戦5敗の選手とのスパーでも過呼吸で倒れる。プロテスト受験も2回止めさせました。
プロテストは2度不合格だった川嶋勝重。ベストバウトはナバーロ戦だという【写真提供】大橋ジム
しかし、川嶋は“本気”でした。しかもプロどころか世界チャンピオンに向けて“本気”だったのです。最終的には、『ラスト・サムライ』と呼ばれる世界チャンピオンとなり、2度の防衛に成功しました(※2004年6月に徳山昌守を1R 1分47秒 TKOで破り王座戴冠。その後、同年9月にラウル・ファレス、2005年1月にホセ・ナバーロにいずれも判定勝利で2度防衛。ナバーロ戦では顔面を3カ所カットした川嶋の打ち合いにナバーロも応戦。スプリット判定で川嶋が勝利した)。
彼のすごいところは“折れない心と集中力”です。ジムの会長で、プロ最高峰の元世界チャンピオン経験者の私から『無理だ、止めろ』と言われても決して諦めない。それも1度や2度ではないのです。スパーでは弱い選手で、何度も負けるから、身に染みるはずですが、折れない。
不可能を可能にしたのは彼の集中力です。ボクシングは試合と同じ3分間を単位にして練習します。その3分間、すべて集中してフルスロットルでやる。これは普通できないことです。井上尚弥や八重樫東にも難しいと思えるほどの練習を川嶋はやり遂げ、私の、いや世界の常識すらも打ち破り、夢を夢で終わらせることなく、実現したのです」
A.“本気のチャレンジ”はあなた自身も周りの人も変える
「年齢や常識、条件などと言っている間は本気ではありません。逆に本気なら不可能はありません。“本気のチャレンジ”はあなた自身の人生を変えるし、周りの人も変えていきます。ただし、今苦しいからとか、有利不利とか、誰かが羨ましいとかで、『チャレンジ』の名前を借りた、逃げるような転職なら必ずノックアウトされるでしょう」
※本コーナーは週1回連載です。
◆大橋秀行(おおはし ひでゆき)
1965年3月8日、神奈川県横浜市出身。大橋ボクシングジム会長。現役時代はヨネクラボクシングジム所属として、日本ジュニアフライ級(現・ライトフライ級)、WBC世界ミニマム級ならびにWBA世界同級王座を獲得した。現在は大橋ボクシングジム会長として、川嶋勝重、八重樫東、宮尾綾香、井上尚弥、井上拓真ら数多の世界王者を育成。
【写真】大橋会長の机上の1杯の水の向こうに写真が立てられている。写真は、2000年3月の日比谷線脱線事故で命を落としたジムの教え子・富久信介さん(享年17)だ。川嶋にとっては後輩にあたる富久さんの思いを、後にこう語っている。
今週の名言
川嶋勝重「僕の場合、辛さに負けそうになる時、自分を支える原点になっているのがその後輩なのです。その彼のためにもという思いが僕の中にあるのです。大事な試合の前には必ず彼の自宅に行ってお線香をあげさせてもらっています。亡くなった人のことはしょうがないとは思うんですが、彼のご両親がすごく喜んでくれるんです。『息子の分まで頑張ってくれ。あなたはやれる人だから、とことんやってほしい』と。僕の試合をいつもリングサイドで応援してくれるものですから、お2人に喜んでいただくためにも頑張っていかなきゃという気持ちがあります」