(C)RIZIN FF/ GONG KAKUTOGI
米国ミネソタのローカルプロモーション「Brutaal Genesis MMA」で連勝し、「RFA」を経て、ジョニー・ケースが初めて日本で戦ったのは、2014年9月の「UFC JAPAN」での徳留一樹戦だった。
オクタゴンデビュー戦で徳留をギロチンチョークで極めた試合も含め4連勝。しかし、続く2連敗でUFCはケースをあっさりリリース。PFLに1度参戦後、複数試合契約を結んだのはRIZINだった。
矢地祐介、北岡悟、ホベルト・サトシ・ソウザを3人ともTKOに下す怒涛の3連勝で、RIZINライト級トーナメント準決勝に進出。しかし、2019年大晦日にトフィック・ムサエフのパウンドの前にTKO負けを喫した。
ムサエフ戦を最後にRIZINとの契約が満了し、フリーエージェントとなることを明かしていたケースが選んだ新天地は、キャリア中、1度だけ参戦していた「PFL」。
2020年シーズンにエントリーしながら、新型コロナウイルスの影響により、年間を通して試合から遠ざかっていたケースは、どんな思いでパンデミックのなかを過ごしてきたのか。なぜ、RIZINを離れ、PFLと契約したのか。そして、日本マットへの思いとは?
2021年1月22日(金)発売の『ゴング格闘技』3月号(NO.312)に掲載されるジョニー・ケースのインタビューから、スペースの関係上掲載しきれなかった部分を、MMAPLANETとのコラボレーションで、ここに紹介したい。
──2019年はRIZINで印象的な活躍をしたジョニーですが、PFLと契約した決め手は何だったのですか。
「マネーだよ。PFLのオファーはRIZINの額をかなり上回っていた。ボーナスもあるし、なんといっても優勝すれば100万ドルの賞金もある。このオファーを断る理由はなかった。でも、2019年のRIZINでの経験は、僕にとって間違いなくキャリア最高のモノだった。ハンズダウン(疑う余地がない)、RIZINのルールも最高だったしね。サッカーボールキック有りは、PRIDEを思い起こさせてくれた。なんといっても、日本のファンは最高だったよ」
──そう言ってもらえると、日本のファンも嬉しいはずです。金銭的な要因でジョニーが違う道を選択するのは当然のことですし。
「日本のようにファンがファイターを尊敬してくれる場所はない。米国にも、他の国にもない。これは断言できる」
──ジョニー自身もインパクトの残る試合をしました。そのジョニーがPFLで戦うことで、日本のファンもPFLに注意を払うようになるかと思います(※PLFのFacebookで日本でも視聴が可能)。
「あぁ、そう思ってくれると嬉しいよ。僕にとっては最高の誉め言葉だ」
──ところでPFLのフォーマットに関しては、どのように思っていますか(※各シーズンごとに選手は各階級でポイントを競い合い、上位8選手がプレーオフに進出。ポイントシステムは、試合の勝者に3ポイント、敗者は0ポイント、引き分けの場合は1ポイントを獲得。また1Rで試合を決着させれば3ポイント、2Rは2ポイント、3Rは1ポイントのボーナスポイントを獲得できる)。
「気に入っているけど、他の団体のイベントとは別物だよね。でも何か新しい動きがあるということは、このスポーツにとって良いことさ。
レイ・セフォー(PFL社長)はK-1のGPスタイルを下地にして、さらに改良を加えてこのフォーマットを考えたんだと思うよ。正直に言うと、UFCやRIZINの興行形態の方が好きだよ。シーズンは長い。そして途中でケガをするようなことがあれば、そのまま棒に振ることになるからね」
(2020年にジョニー・ケースは何を想ったのか。そしてPFLのシーズンフォーマットを戦い抜く上での秘訣、さらにはアンソニー・ペティス参入の2021年シーズンについて、何を語ったのか。インタビューは、2021年1月22日(金)発売の『ゴング格闘技』3月号(NO.312)にて掲載)