【写真】北海道の山中を裸足でゆく西川親子。目隠し、耳栓での歩行も行った(提供=西川武彦)
2020年5月31日(日)『ABEMA』テレビマッチとして行われる「プロフェッショナル修斗公式戦 Supported by ONE Championship」第1試合で、興味深いカードが組まれている。
4月17日に「無観客」で開催された「Road to ONE:2nd」で、ラジャダムナン王座挑戦経験もある緑川創に立ち技で真っ向勝負を挑んだ西川大和(西川道場)が、修斗に初参戦。フルコンタクト空手世界大会準優勝の実績を持つ木下タケアキ(和術慧舟會HARTS)と対戦する。
(C)Road to ONE Executive Committee/ABEMA
17歳ながらそのポテンシャルの高さを示した西川は、産まれてすぐに「世界チャンピオンにする」と決めた父・武彦氏が1日も休む事なく鍛え上げ、小学5年生の時には『探偵ナイトスクープ』でそのあまりにも特殊過ぎるトレーニング方法が紹介されるなど、注目の選手だ。
2019年にはシュートボクシングにも参戦し、元スーパーウェルター級王者・坂本優起に判定勝利。MMAでも国内外のプロモーションでキャリアを積んでおり、二刀流で存在感を示している。
北海道在住の西川親子に話を聞くと、父・武彦氏はもともと佐山聡門下生で、大宮でエンセン井上や中井祐樹らの指導を受けていたという。幼少時から“ベアフット”で強さを磨いてきた山中での異色すぎる特訓、父が果たせなかった修斗マットへの想い──父子鷹の壮大な挑戦を、両者に訊いた。
父・西川武彦「大和が修斗に出ることに、運命を感じました」
――西川大和選手の父親としてユニークな育て方で、ファイターに成長させた西川武彦さんは、もともと修斗のジムに通っておられたと聞きました。どちらのジムでしたか。
「佐山聡さんが大宮に修斗のジムを立ち上げてすぐの頃ですね」
――では、1995年のヴァーリ・トゥード・ジャパンの頃、大宮時代に行かれたのですね。
「そうですね。中井祐樹さんが、(ジェラルド)ゴルドーに目を潰される前です。エンセン(井上)が大宮に来たあたりですね」
――武彦さんご自身は修斗の前に格闘技経験は何かされていたのでしょうか。
「自分は柔道と空手とボクシングをやって、それで、大宮のほうに行ったんです」
――総合格闘技の黎明期に大宮で練習をされていた。試合に出たりもされたのですか。
「いえ、自分はそこまでいかなかったですね。佐山さんみたいに無差別でやりたいなという希望があったんですが、背が小さかったからちょっと無理だなと。あの時代、あったじゃないですか。無差別の最強を目指すというようなところが」
――はい。実際、170cm・71kgの中井さんが196cm・98kgのゴルドーらと無差別級で無制限ラウンドで対戦していました。
「そうなんです。あの“幻想”にとらわれていた世代です。自分が通っていた頃は、中井さんが寝技クラスを担当していて、九平さんが打撃クラスをやっていたんです。まだ秋本じんくんや池田久雄さんが学生だったように思います。池田さんはアマチュアレスリングの経験があって。横浜の木口道場から朝日昇さん、桜田直樹さんらも来るようになって。桜田さんが周富徳さんの弟子にあたるところの中華料理屋さんで働いていたり……」
――ブラジリアン柔術、高専柔道、レスリング、キックボクシング、様々なバックボーンを持つ選手が集まっていた。
「“マウント”とかそんな言葉が無かった時代から、エンセンが来ていろいろ教えたりしていました。当時、佐山さんとは別の(4代目)タイガーマスクの人がいて、まだ付き人みたいな感じでしたが、あの人はプロレスを目指していて、一緒にウエイトトレーニングをやって、自分も身体をでかくして無差別でいきたいな、と思っていたんですが、無理でした。それで1年ほどで北海道に帰ってきたときに、ゴルドー戦で目を悪くした中井さんがパラエストラを立ち上げて、札幌にもパラエストラ札幌ができて。整体の仕事をやっているんですが、ちょくちょく見に行くようになって。
だから、中井さんとは今でも1年に2回くらい会うんです。それに大和は小学校6年生から北大柔道部に出稽古に行かせてもらっています。あと、エンセンともピュアブレッドで会うこともあります。空道クラスがあるので、大和がフルフェイスのマスクをかぶった相手に、オープンフィンガーとヒジで顔面に当てるスパーリングの出稽古に行ってたら、エンセンがそこに来ていて。当時はけっこういい男な感じだったのに、いまはお互いにスキンヘッドでゴツくなってますね(笑)」
叱るときは「練習をやらせないぞ」って言うと、「練習したい」と泣いて謝ってくるような子でした
――武彦さんは修斗の激動の時代に触れて、地元に戻られてから生まれた大和選手を野生児に育てあげたのですね。これまでの取材では、2、3歳で木登りを1日100本、20kgの錘を背負って裸足で2~3km歩き、川の流れに逆らって歩いて足腰を鍛えたり、といった独特のトレーニングについて聞いています。大和選手が弱音を吐くようなことはなかったですか?
「いや、まったくなかったです、それは。大和は練習を休むということがないんですよ。変な話、こちらが怒ったときは『練習をやらせないぞ』っていう感じだったんですね。そうすると、『練習したい』と泣いて謝ってくるような子でした。だから、世間が思っているような、無理やりやらせているとか、親の夢を押し付けているという感じではないんです」
――なるほど。本人も子供の頃は山遊びの感覚だったと言っていますし、『探偵ナイトスクープ』で話題になった非常階段や電柱登りトレーニングも、楽しんでやっていたようですね。
「はい。基本的に好きなんですよね」
――整体トレーナーとして「ベアフット ニシカワ」も開業されていますが、大和選手は裸足で山中を歩くトレーニングもされてきたそうですね。格闘技は基本、裸足で行うことが多いですが、どんな意図があったのでしょうか。
「立つ時は足の指でバランスを取ります。幼少期に裸足でトレーニングしたり、家の手伝いをしていたアスリートは多いんです。イチロー、パッキャオもパンチでは足の指が大事だと言っていますし、具志堅用高さんも貧しかったとき靴も買えなかったから、沖縄でサトウキビを裸足でかついで、足の指でしっかり踏ん張っていたと聞いています。
だから、大和の身長は170cmですけど、足のサイズは32cmもあるんですよ。身長は親の遺伝もあるから、そんな大きくできないけれども、足の指と手の指は、使っていたら大きくなるのは知っていたので」
――実際に大和選手はベアフットになったと。武彦さんは、当時目指していた修斗という舞台に、大和選手が出ることに関して、どのように感じていますか?
「やっぱり……あの当時は身体が小さい人は修斗最強だと思っていました。佐山さんに憧れて、佐山さんの理念のもと、みんな日本全国から、もしくは海外からも人が集まっていました。ですから、修斗というのは特別なものがあって、格式もある。大和はPFCやGRACHAN、Fighting NEXUS、シュートボクシングと歩んできたので、修斗とは違う路線で行くのかなと思っていたら、『Road to ONE』を経て、思わぬところでそういうお話が来たので……運命を感じましたね」
まず怪我をしないこと。ディフェンスとエスケープは違う
――武彦さんは、5月31日の修斗で大和選手にどんな試合をしてもらいたいと思っていますか。
「やっぱりコーナーから見守る側としては、面白みに欠けるかもしれないけど、まず怪我をしてほしくないんです。怪我をしないで、普段自分がやっていることを全部出していってほしい。
結局、試合の結果というのは“未来”の話じゃないですか。でも、練習だったり、そこにいく過程というのは“現在”なのでコントロール出来る。結果には運もあるので、コントロールできない部分ではなく、いま自分が練習をしていることをしっかりと試合のときに全部出してほしいと思います」
――西川選手の野生児的なエピソードを聞くと、ついワイルドなガチャガチャしたスタイルを想像してしまいますが、実は試合を見ると、しっかり距離を設定して、下段から崩してデフェンスを重視していることが分かります。寝技でも、無理やり立たずガードを取る場面も見られ、最近では稀有なスタイルだと感じました。
「大和が小さいときからやっている練習は、全局面で対応できるような練習なんです。“お見合い状態”というのは戦っている状態じゃないからお見合い状態を少なくして、寝技でもみんな今はすぐに立て、立てと言うじゃないですか。でも、結局亀になっている状態と立つというのは、“寝技”じゃない。立ちになっちゃうとスタンドの状態になる。だから、とにかく戦おうよって。ディフェンスとエスケープは違うから、スタンドでもグラウンドでも全局面で戦おうということは話しています。もちろんオフェンスしながら、エスケープじゃなくてディフェンスを見せたいですね」
――なるほど。「エスケープじゃなくてディフェンス」というのは、スクランブルMMAの時代へのアンチテーゼに感じます。
「減量でもハイパーリカバリーってありますけど、前日計量だとみんな水抜きで10kgくらい落として、当日に(体重を)戻してくるじゃないですか。その点、大和は減量をほとんどしないから、今までのキャリアで、自分と同じ体重の人と試合をしたことはまずないんですよ。最近までウェルター級でやっていたくらいで。でも、普段の体重は74kgくらいなんです。それは、普段から低脂肪・高タンパクの、ゆで卵の白身とかノンオイルのツナ缶とかを食べて、小学校も中学校も給食を食べずに持っていった弁当を食べていたんです。だから、大和はジャンクフードとか食えないんですよね。そういった、ある程度最初から身体を絞った状態で、体重をキープしてやってきています」
――ナチュラルでほぼ戦っていると。
「そうです。77kgのウェルター級だったら、みんな当日83kgとかでくる。ちょこまか動く大和に対し、みんな塩漬けにしようとするけど、単に立つエスケープじゃなく、『お前は下から極められるんだし、下から打撃をやってもいい』とも話しているんです」
――実際、長岡弘樹選手を相手に、ガードポジションで下からヒジ打ちも繰り出していましたね。あの時、大和選手はまだ15歳でした。
「あの試合のオファーも、ほぼ1週間前でしたけど、普段から大きな長岡選手がライト級でパスして当日戻してきたのに対し、スタンドでテイクダウンされないように頑張って体力を削られるくらいだったら、自分から寝ちゃってもいい、グラウンドで下から攻めればいいと話していました。今ではタブーとされている下のポジションもダメージを負わなければ攻められる。そういうところもちょっと見せてもらいたいなと思っています」
――まるで、ヴァーリ・トゥード時代を生きたヒクソン・グレイシーのインビジブル柔術のような発想です。様々な制限のある現代MMAで大和選手がどう戦うのか期待が高まります。
「大和は自分のことを信頼してついてきてくれました。私ももちろん大和のことを信頼して好きなので、やっぱり……強くなるには愛情が必要なんだなとあらためて感じています。対人練習でも、自分勝手な練習をしないで、相手の人も一緒に強くしようと言って、一生懸命、こうしたほうがいいんじゃないかとアドバイスをしている、そういう練習をする子なんですよね」
――嘉納治五郎のように、心身の力を最も有効に使用する「精力善用」や、自分だけでなく他人と共に栄えようという「自他共栄」の規範が大和選手にはあるようですね。17歳の修斗デビュー戦に注目しています。