帯をつかんで引っ繰り返した桜庭。まさに桜庭ワールド全開の試合となった
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。その初回は、2000年5月1日に東京ドームで開催された『PRIDE GP 2000世界最強決定トーナメント決勝戦』より、今や伝説となった桜庭和志(高田道場)vsホイス・グレイシー(ブラジル)の歴史的一戦。
ホイス・グレイシー側の要求によって、1R15分で決着がつくまで無制限にラウンドを重ねる、判定なし、レフェリー(ドクター)ストップなしというルールで行われることになった『PRIDE GP』(無差別級トーナメント)。主催のDSEは事前に東京ドーム側に掛け合い、翌日の巨人×中日戦の準備のために2日の午前9時までに撤収すればいいという“徹夜許可”までもらって大会の開催に臨んだという。
桜庭はスーパー・ストロング・マシン似のマスクを被った男を2名引き連れての入場。試合前の花束贈呈でも3人揃って花束を受け取る。そして、前代未聞の試合開始のゴングが鳴った。
1R、ホイスはバックを取り、桜庭はいつものようにアームロックで切り返そうとするが、ここから先が長かった。上半身をロープの外に出しながらも、桜庭はヒジを一度は伸ばしたが、極めることはできない。逆に空いている片手でホイスがコツコツ殴り始めると、桜庭に分が悪くなり始める。だが、バックに付いたままグラウンドに転がしたホイスに対し、ラウンド終了間際に桜庭が膝十字で切り返した。
2R、コーナーに押し込むホイスに対し、桜庭は“道衣脱がし攻撃”を敢行。帯から道衣の裾を引っ張り出し、ホイスの頭に覆い被せようとする。さらには下のズボンまで脱がしにかかる。満員の東京ドームは、格闘技の試合中とは思えない笑い声に包まれた。後に桜庭は「道衣を脱がすのは、脱がしてしまえば相手が動けなくなるかなって真剣に考えたことなんです。ウケも少しは考えましたが、どっちかと言えば勝つために真剣に考えたことなんですよ」と振り返っている。
それでもホイスは桜庭をフロントチョークに捕えて窮地に追い込む場面も。
3R、桜庭は道衣をつかんでのヒザ蹴り、パンチ。ホイスが密着しようとしてくると道衣をつかんで引きはがし、右ローをヒットさせる。ホイスが有利だと信じ込んでいる道衣を逆利用したのだ。
スタンドでの打撃でペースを握る桜庭。前に出て組もうとするホイスにパンチのカウンターを合わせ、右ロー、モンゴリアンチョップのフェイントからの右ローとホイスを翻弄する。
4Rも桜庭がスタンドで優位に立ったが、5Rでついにホイスは念願のガードポジションに引き込むことに成功。だが、ホイスが攻めらしい攻めを見せられたのは一瞬三角絞めに入りかけたシーンくらい。逆に桜庭がモンゴリアンチョップ、恥ずかし固め(仰向けの相手の帯を背中側から引き上げ、でんぐり返しをさせるような状態)からのパウンドと“桜庭ワールド”を全開させる。
そして迎えた6R、桜庭の執拗な右ローでバランスを崩すホイス。前に出て組もうとすれば、桜庭はパンチでカウンターを取っていく。ラウンド終盤、ホイスは戦いの最中にも関わらずセコンドの方を窺う。桜庭は猪木×アリ状態からジャンプして顔面を殴ろうとしたり、攻撃の手を休めない。
この時点で1時間30分(インターバル2分は除く)。7Rが始まる前のインターバルが終わり、「セコンドアウト」がコールされてもホイスは椅子に座ったまま動かない。そしてセコンドの兄ホリオンからタオルが投入され、桜庭の6R終了時でのTKO勝ちが決まった。
桜庭は「あと4Rいったらもうやめようと思っていました」とまだ余力があると話し、「判定ありならもっと僕も行きますよ。無制限だから、ちょっと面白くなくなるだろうけど、チンタラ行こうかな、と。とりあえず今はビールかなんか飲みたいです」とコメントした。
今も語り継がれる日本格闘技史に残る死闘90分。あれから本日2020年5月1日でちょうど20年を迎えたことになる。
桜庭は後年の本誌のインタビューで、グレイシーとの一連の戦いにより、“総合格闘技界のファンタジスタ”と呼ばれたことについて、「誰もが想像できないものではなく、僕の中では想像できるものだから、別にファンタジスタでもないんです。練習をしていて、例えば暇な時や寝る時に“今日はあの技が掛からなかったからどうしようかな”って考えてみた時に、僕には先生がいないので自分で考えるしかないじゃないですか。それで人間の身体の仕組みを考えながら、“こっちにいったらどうなのかな”と想像して、想像の中でピッタリはまるんであれば次の日に練習で試してみます。それで掛かるのであれば、自分の動きのパターンに入れようとします。だから、僕の中では“想像できるもの”なんですよ」と、イマジネーションを実践で試していたと明かしている。
さらに、桜庭独自のモンゴリアンチョップや道衣を使った、一見奇抜な技も、「見ている人をというよりも、相手を驚かせたい。ぼくは技を掛けるのにもの凄いスピードやパワーがあるわけでもないので、単発でいっても絶対に掛からないんですよ。だから相手の意識を散らすのに、別なことをやったりだとかする。モンゴリアンチョップにしても、本当は顔面へ真っ直ぐパンチを入れたいわけです。でも、普通に打ったら当たらないこともあるから、その前に横へ意識を散らせてから真っ直ぐ打つことを考えたわけです。それを普通にただ横からパンチを打っても面白くないので、見ている人にも分かりやすいようにモンゴリアンチョップをやってみようと。ぼくが見ていた頃のプロレスを見ていた30~40代のお客さんもいると思うので、そうすることによって分かりやすければいいかなと思ってやったんです。道衣を脱がすのは、脱がしてしまえば相手が動けなくなるかなって真剣に考えたことなんです。ウケも少しは考えましたが、どっちかと言えば勝つために真剣に考えたことなんですよ」と、技を効果的に決めるために考え抜いた末の動きだったと語っている。
なお、桜庭とホイスは2007年6月の『Dynamite!! USA』で再戦。道衣を脱いでファイトショーツを履いたホイスが判定3-0でリベンジに成功している。
【Anniversary】
— SAKU39 Official (@KS_SAKU39) May 1, 2020
あれから20年。
ぼくもようやく成人になりました。
まだまだひよっこです。
これからも頑張ります。@realroyce#桜庭和志 #ホイスグレイシー #PRIDE pic.twitter.com/2HOxab88aO