211cmのノルキヤに得意の左ハイキックを叩き込むミルコ。身長差があってもスネで蹴っているのが凄い
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。40回目は1999年4月25日に横浜アリーナで開催された『K-1 REVENGE』から、約3年ぶりに来日した24歳時のミルコ・クロコップ(クロアチア)の試合。
(写真)1996年3月の初来日でバンナを破った時の写真
ミルコは1996年3月のK-1に初代K-1王者ブランコ・シカティックの一番弟子として初来日。K-1グランプリ1回戦でいきなりジェロム・レ・バンナからダウンを奪って勝利し、周囲の度肝を抜いた。
ミルコ・タイガーの名で彗星のごとくK-1デビューを果たし、同年5月にはアーネスト・ホーストに敗れたものの次世代のスターとして期待がかけられたが、所属ジムとのトラブルもあってそれから約3年間、K-1のリングからは離れていた。
そのミルコがミルコ・"クロコップ"・フィリポビッチとリングネームを変え、1999年4月、K-1のリングに帰って来た。ミルコによれば、3年間はクロアチア代表チームのメンバーとしてアマチュアボクシングの試合を約50戦(45勝)経験。キックボクシングの試合は1997年11月にチェコでトーナメントに出て3試合勝ったのみだったという。
初来日時はポリス・アカデミーの学生だったが、日本で試合をした後に卒業して正式にクロアチアの警官にもなっていた。そのためクロコップ(クロアチアン・コップ)をリングネームに取り入れたとミルコは説明した。
対戦相手のヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ(南アフリカ)は身長211cmを誇り、ミルコとの身長差は23cm。ノルキヤの長距離砲を掻い潜り、ミルコは果敢に懐に飛び込んでパンチ、居合抜きのような鋭い左ハイキックをヒットさせたりと、スピードとタイミングを取る上手さ、そして何よりハートの強さで挑んでいく。大巨人ノルキヤに少しも怯まずに突っ込んでいく姿に、観客席からも「あの根性は凄い!」とため息がもれていた。
ノルキヤもクリンチして131kgの体重を浴びせてフロントチョークのような形で首を捕えて潰しにかかる。かなりクリンチを練習してきたようだ。しかし、ミルコはその組み合いでも負けておらず、35kgも重いノルキヤを逆にいなして見せ、ファンを沸かせた。
だが、この身長差・体重差はやはり大きい。伸びる左ストレートやフックをブンブンと振り回すノルキヤは、飛び込んでくるミルコにヒザ蹴りを見舞い、ミルコにも疲労の色が見え始める。
「俺はマイク・ベルナルドとスパーリングしているから、ミルコのパンチが強いとは感じなかった」と試合後にノルキヤが語ったように、いいパンチが入ってもノルキヤは倒れない。
それでもフットワークの上手さやパンチの的確さなど、ボクシング技術ではミルコがはるかに上だ。4R、ノルキヤのフックの連打を掻い潜ったミルコの飛び込みざまの左フックがノルキヤの顔面を捉え、1分58秒、大巨人は前のめりにマットに沈んだ。「あのパンチは見えなかった」と試合後にノルキヤは語った。
一方、復帰戦を勝利で飾ったミルコは「3年ぶりに戻ってきました。何としても日本のK-1の舞台で生き残っていきたいと思います。3年前に戦った時のことを覚えていますが、日本のファンは世界一素晴らしいファンだと思うから、皆さんが喜ぶような試合をお見せしたいです」と、K-1で活躍していきたいと意気込んだ。