(C)Zuffa LLC/UFC
現UFC世界フライ級2位のマネル・ケイプ(アンゴラ/ポルトガル)が年明け、ポルトガル語のポッドキャストに出演。前王者アレッシャンドリ・パントージャ(ブラジル)の骨折や靭帯損傷が無かったことを受けて、「パントージャ対ジョシュア・ヴァンの勝者を待つだけ」と、ダイレクトリマッチの勝者に挑戦する構えであることを語った。
また、同番組では、アンゴラのルアンダ生まれで、幼少時に家族と共にポルトガルに移住し、ボクサーだった父の影響でボクシングを始め、ブラジリアン柔術も学び、MMAへと移行した“スターボーイ”の半生が語られている。本誌取材のインタビューで補足し、“知られざる”マネル・ケイプの姿を紹介したい(※後篇に続く)。
父はいつもこう言っていた。『お前は黒人なんだ。家を出る時はしっかり身なりを整えておけ』と
──あけましておめでとうございます。こうしたポッドキャストも大丈夫ですか。
「はい。大丈夫です。私はお喋りが得意ですから」
──そうですね、知っています(笑)。まず最初に目に留まったのは、そのキャップとメガネです。あなたはファッションがお好きですよね。いつもそこに投資していますよね?
「大好きです。そういう風に育てられました。興味深いことに、それは母の影響なんです。子供の頃、教会に行く時はいつも“fato(スーツ)”を着ていました。ファトですね。ああ、ここでは“terno(テルノ)”と言い換えないといけませんね。いつもスーツを着ていました。たまたまポルトガルに仕立て屋がいて、母はいつも私たちをその仕立て屋に連れて行き、スーツのサイズを測らせていました。本当に小さい頃から、6歳とかそのくらいの頃からです」
──もう服を着るのが好きな状態で育ったんですね。というか、当時はあまり好きではなかった?
「好きではありませんでした。外で友達がサッカーをしているのが見えるのに、自分はスーツを着ているんですから。彼らは私をからかいました。『おい、聖書を持って教会に行くぞ』って。だから私はいつも、友達がボールを蹴っていない道を選んで隠れるようにして行っていました。でもファッションへの好みはずっとありました。学校へ行く時もいつも格好よく決めていました。時々、もし母が服を洗濯していなかったら、私は学校に行きませんでした。服が整っていなかったり、洗濯されていなかったりしたら、学校に行くのを拒否していました」
──そうなんですか。
「そして、自分たちのスーツを作るアトリエがありました」
──今、その関係はどうなっていますか? 今でも専属のスーツを作ってくれる人はいますか?
「います、常にいます。すでにいくつかのスーツブランドや仕立て屋と仕事をしました。スタイリッシュな服、どこかへ出かける時に着るような服ですね。常に自分が好きなもの、探求しているものを求めています。そして試合の週、それは常に目に見える形になりますよね」
──コナー・マクレガー以降、それが非常に目立つようになりましたよね。記者会見などでファイターたちが身なりを整える。君もその一人です。
「いえ、マクレガーが来るずっと、ずっと前からスーツを着ていたファイターはいましたよ。UFCでもずっと前からです。ただ、彼が来てからより強調されるようになった。彼が喋るから、人々がより注目するようになったんです。でも私はもっともっと前にスーツを着ているファイターたちを見てきました」
──もちろんですが、彼以降に増えました。それが言いたいことです。
「増えたというよりは、人々がそのディテールにより注意を払うようになったんです。それと、日本では常にスーツを着る文化がありました」
──それは本当ですね。PRIDEの記者会見もそうです。
「常にスーツでした。ブラジル人だけがTシャツでしたが(笑)。でも常にスーツでした。ボクシングでも常にスーツでした。そして今日、個人的に私は自分のスタイルを採用し、自分が気分良くなれるものに従っています。常にオーセンティック(自分らしく)でありたいと思っています。注目が集まったことで、人々が詳細を詳しく見るようになったのは普通のことです」
──あなたにとって、それは「ゲーム(勝負)」の一部だと思いますか? 君は子供の頃からそれが好きだと言いましたが、今はUFCというプラットフォームにいる公人です。今はParamountも関わっています。常にプレゼン可能な状態でいることは理にかなっていますよね?
「はい、ゲームの一部です。しかし、それが自分を害するようなものであってはいけません。ゲームの一部ではありますが。そして私の父はいつもこう言っていました。『お前は黒人なんだ。家を出る時はしっかり身なりを整えておけ』と。だからファイターとして、イメージに投資し、自分を良く見せるべきだと言っています。単なる“格闘家の宣伝”としてではなく。格闘技界以外にも、格闘家を見ている目はありますから。“荒くれ者”のように見られないため、また、このスポーツが経済的なメリットをもたらさないスポーツだと思われないためです。もしみすぼらしい格好をしていたら、それはこのスポーツの選手が十分に稼いでいないことを示すことになります。他のスポーツと比べて。それはよく観察されています。だから、良い服を買う余裕さえないと思われないように。
もっと噛み砕いて言えば、人がきちんとした格好をしていれば、敬意の念さえ抱かせます。『見ろ、MMAファイターだ。あんなに格好いいぞ』と。それがまた別の視線を生み、別のチャンスを生み、報酬を生むかもしれません。そして『自分を害してはいけない』と言ったのは、限界を知り、どこで買うべきかを知るべきだという意味です。ファッションの世界に入り込もうとして、ファッションとは高い服のことだけだと思い込んでしまうことがあります。安い服もあります。安い服をどう組み合わせるかを知れば、ロゴだらけのダサい高い服よりずっとよく馴染みます」
──サンパウロには「3月25日通り(安売りで有名な通り)」があります。
「でも私が言いたいのは、『自分を害するようなゲームに入ってはいけない』ということです。分かりますか? その自覚がない多くの人が、イメージに投資しすぎて自滅してしまうことがあります」
アイデンティティに関しては、アンゴラ人だと認識している

(C)Manel Kape
──完璧です。子供の頃に教会に行っていたと言いましたが、それはアンゴラの話ですか? それともポルトガルの話?
「ポルトガルです。失礼、アンゴラで生まれて、2歳になる時にポルトガルへ行きました。2歳になる頃です」
──アンゴラの記憶は全くないんですね? ポルトガルで育った。
「アンゴラの記憶は、正直に言って、漠然としたものは時々浮かびますが、はっきりしたものではありません」
──母も父もアンゴラ人ですよね?
「はい、両親ともアンゴラ人です」
──ポルトガルのどの街へ?
「ポルトです。ポルトのリオ・ティントで育ちました」
──なるほど。そうなると、そのせいでアンゴラよりもポルトガルにアイデンティティを感じますか?
「良い質問ですね。アンゴラで生まれてすぐに離れましたが、家の中での文化は常にアフリカ、アンゴラのものでした。強い文化がありました。ヨーロッパの文化ではありませんでした。私の目から見ると、ヨーロッパの文化は年上に対して少し敬意が足りないところがあります。私の友人が両親に対して話すやり方を見てきましたが、私は自分の父や母に対して、対等な口調で話すなんて夢にも思いませんでした。だから私は家の中では常にアンゴラの教育を受けてきました。それは刷り込まれていました。『私たちはアフリカを出たが、アフリカは私たちの中から出ていない』という感じです。常に敬意を払う文化、厳格な教育、フォーマルで倫理観の強い教育でした。アイデンティティに関しては、私は自分をアンゴラ人だと認識しています。常にそうです。しかしもちろん、私の受けた教育がポルトガルのものであることは否定できません」
──あなたのアクセント(訛り)はアンゴラですか、ポルトガルですか?
「ポルトガルです。でもアンゴラに行くと、多くの人が私のアクセントのせいで、気取っているとか鼻持ちならない奴だと思われます。アンゴラの訛りとポルトガルの訛りは大きく違いますから『調子はどうだ? 元気か?』みたいな」
──ブラジル人っぽいですね。
「ブラジル人というよりは……例えば君が私より年上だとしたら、こう呼びます。『どうだい、モコタ(年長者への敬称)元気かい? 調子いいかい、モコタ? 今日はもう飯は食ったか? ほらな』と、全然違います。私が自分の本来のアクセント(アンゴラ風)で話すと、彼らもようやく納得してくれます」
──さきほどお父さんの言葉を引用しましたね。「お前は黒人だが、だからこそ身なりを整える必要がある」と。現在ポルトガルには多くのブラジル人が住んでいます。私は行ったことがありませんが、ブラジル人があまり歓迎されていないという話も聞きます。ポルトガルのアンゴラ人コミュニティの場合はどうでしたか? アンゴラ人移民への扱いは?
「私は実質的にあそこの人間ですからね。他の人を受け入れる側の人間です。人種差別を感じたと言って嘘をつくつもりはありません。私はあそこでは“マランドロ(ポルトガル語で「やんちゃ者」)”でしたから。特に学校などでは」
──ブラジル人に意地悪をしていましたか?
「いえ、していません。たまたま学校にはブラジル人の友達がたくさんいました。私はブラジル文化が大好きだったんです。当時はサッカーをしていましたし、母と一緒にノヴェーラ(ドラマ)も見ていました。だから幼い頃、ブラジル人と会うのは良いことでした。ブラジル人の友達がいるのは」
──ポルトガル人はブラジルの文化(ドラマや食事など)をたくさん消費しますよね。
「ポルトガルに住んでいるアフリカ人の方がより消費しますね」
──なるほど。ポルトガル人自身はあまり?
「ポルトガル人はポルトガルのものをより消費します」
──ポルトガルにアフリカ人は多いと。あなたはそこでブラジル人やアフリカ人とより繋がりを持って育ったんですか?
「いいえ、ポルトガル人と繋がって育ちました。非常に強く繋がっていました。しかし私は自分のコミュニティから出て、他のコミュニティへ行く子供でした。時々パゴーヂ(サンバから派生したブラジルのポピュラー音楽)のバーがあれば、そこへ入っていきました。パゴーヂのバーに行ったり、色々なところへ行きました。アフリカ系のパーティーやブラジル系のパーティーがあれば、その中へ入って何かを吸収していました」
──パゴーヂのバンドを何か一つ挙げてもらえますか。
「バンド……So Pra Contrariar(ソ・プラ・コントラリアール))。それと、ブラジル代表の曲を歌っていたあのバンドも好きです」
──ZECA PAGODINHO(ゼカ・パゴジーニョ)?
「いや、ゼ・パゴジーニョじゃなくて……(Grupo)Revelacaoだ。曲は『O dia vai chegar(その日は来る)』。最高です。非常にスピリチュアルでポジティブで、勇気づけられる曲です」




