ボクシングとキックボクシングの二刀流・吉田(C)RISE
2025年11月2日(日)東京・両国国技館『RISE WORLD SERIES 2025 FINAL』にて、約12年ぶりにキックボクシング復帰戦を行うプロボクシング第5・7代WBO世界スーパーフライ級王者・吉田実代(Bread winner NYC)のインタビューが、主催者を通じて届いた。
吉田は多数のタイトルマッチ経験を持つベテランの美斬帝(=みきてぃ/テツジム)と-52.5kg契約3分3Rで対戦する。
海外でMMAのオファーがあったんですけど…

――“元ボクシング世界王者”としてRISEに参戦することになりました。大きな反響があったかと思うのですが、ご自身ではいかがですか?
「元々キックボクシングをやっていた頃から知ってくれていた人たちは、『戻ってきた!』みたいな感じですごく喜んでくれました。ボクシングで私を知ってくれている人たちは、私がキックをやっていた事を知らない人も多かったりするので『大丈夫なのか』って心配する人もいれば『え? ボクシングだけやっていてほしかったです』って言う方たちもいて」
――ボクシングとキックボクシングのファンで、それぞれ意見に違いがあったんですね。
「日本ではボクシングと他の競技の掛け持ちが禁止なので、そういうところも含めていろんな意見を聞けました。でも自分が今住んでいるのはニューヨークなので、JBCも抜けているし、試合をどんどんやっていきたいという気持ちがありました。あと何年かで悔いなくやりたいと考えると、こうやって出場できる機会をもらえて本当に良かったなと思います。あと、RISE事務所に最初に来た時に友だちを売り込みに来たら、結局自分が出ているっていうのも面白いかなと思っています(笑)。20歳で上京してきてTARGETでお世話になって、今試合に出るっていうのは、運命というかご縁も感じています」
――“闘う”という部分では他にも選択肢があったと思うのですが、MMAも経験したことがある中で、改めてキックボクシングのRISEを選んだ事に具体的な理由はありますか?
「やっぱり競技性が高いというのが1番強くて、実は海外ではMMAのオファーがあったんですけど、そっちに出てしまうと契約の縛りがあるので、多分他の競技に出れなくなってしまうんですよ。っていうのを考えた時に、自分がMMAとボクシング以外で心残りがあったとしたらキックボクシングだったんですよね。『もうちょっといけたんじゃないか』っていう心残りがあった競技でもあったので。
ボクシングに転向してからも海外のスパーリングパートナーとして呼ばれて、キックボクシングとかの打撃をやっていく中で、『あれ、本当はまだできるのに』みたいに思うところもあったんです。その中で芽依(宮本)とか友だちも出ているっていうのもありますし、RISEの競技性の高さやレベルの高さを感じた時に、日本でやるならRISEに出たいなと決めました。
昔からの関係性もありますし、伊藤さん(RISE代表)のことをすごく尊敬しているので、ボクシングのことも寛容的で『頑張れ』って言ってもらえる中で、キックにも挑戦させてもらえるっていうのは安心感がありました」

――元々の伊藤代表との関係性というのは、格闘技を始めたきっかけがTARGETだったからですか?
「元々は20歳の時に人生を変えたくて、ハワイに格闘技をやりに行って、その後に上京することになるんですけど。『日本の方が女子格闘技が盛り上がっているから東京にいた方がいいよ』っていうアドバイスをもらって、そのまま東京に上京するときに、私が鹿児島出身で薩摩3373さんが先輩なので、いくつかジムの候補があったんですけど、そのままTARGETに行ったらみんな良くしてくださって。
まだアマチュアで4戦しかやっていないペーペーで訛りもすごい20歳の小娘だったんですけど、そこからMMAにいったりジムが変わったりボクシングに転向したりしたんですけど、節目でご挨拶をさせてもらっていたので関係性は続いていたんですよ。練習をしにジムに行ったりしていて状況や近況は全部分かっていて、あとは自分のボクシングのトレーナーがTARGETでボクシングのコーチをやっているというのもあって、その人とも仲が良くてっていう。
ずっと良好なリレーションシップがあったので、そういう意味でも安心だなと思えました。海外ではいろんな契約の問題とかで試合ができないというところで、ビザのスポンサーや興行主とかと難しい問題があるので、だったら安心できるし信頼できる人と一緒にやりたいなっていう気持ちが大きかったです」
――20歳で格闘技をハワイで始めて、キックボクシングもMMAもやって、ボクシングでは2階級制覇もしていますが、それでもまだまだモチベーションを高く保ち続けられている秘訣は何ですか?
「やっぱり格闘技に人生を変えてもらった部分がすごく大きいですね。本当に不器用でそんなにセンスもないんですけど、やり続ける事とか前向きだったり諦めないところが他人よりすごくあって、自分がこんなに長く続けることは、自分含めて周りも思わなかっただろうと思います。
人間としても年々歳をとって子供も生まれて、体力が落ちてきたりして若さに負けてしまうところもあるかもしれないし、年齢的に考えるとあと数年でピークかなっていうのも自分でも分かっています。だけど経験と人間としての成長力が増してきて、まだ練習もしっかり頑張れていて、新しいことをまだできるようになったり強くなっているので、好奇心や向上心が人より高いのかもしれないです(笑)」
――そういう部分は、日本を飛び出してニューヨークに拠点を変えたというのもそこに繋がっているんですね。
「そうですね。ちょっとネジが飛んでいるみたいな(笑)。英語も喋れないのによく娘と移住したなと思います」
――言葉の壁などあると思いますが、ニューヨークでの生活はどうですか?
「ほぼゼロベースで娘と一緒に行ったんですけど、娘は日本人学校にいれていないので、“ニューヨーク生まれ”って言われるくらいネイティブに喋れるようになりました。あとは日本で格闘家として生活をしていって娘を育てるとなった時に、娘には自分と違った教育とかをさせたかったっていうのがあって、教育とかも考えると時間が全然なくて。
自分が本当にやりたいことで娘を今10歳まで育てたんですけど、自分の人生でもあるけど娘の人生でもあるので、自分が一生懸命人生をかけてきてやってきた事で娘にも良い恩恵を与えられたらと思った時に、日本で長年頑張るというのはそれこそモチベーションとか、これ以上同じような感じでやっていくのが限界だったので、辞めるかどうするかと考えました。
その時に1番自分が目指していたビッグマッチとかアメリカでやっていきたいという気持ちと、アメリカに移住すれば良い教育環境で自分がやりたいことで娘もハッピーになれるんじゃないかなって思ったんですよね」



