2024年7月7日(日)東京・国立代々木競技場第二体育館『K-1 WORLD MAX 2024』で行われた「-70㎏世界最強決定トーナメント」は、ストーヤン・コプリヴレンスキー(ブルガリア/Mike's Gym)の優勝で幕を閉じた。
コプリヴレンスキーは3月20日の開幕戦に優勝候補としてK-1に初参戦したが、伏兵カスペル・ムジンスキに3Rにダウンを奪われて敗れた。オウヤン・フェンの欠場により、敗者復活でトーナメントに復帰。
準々決勝ではブアカーオ・バンチャメーク(タイ)からハイキックでダウンを奪って判定勝ち、準決勝では190㎝の長身を誇るデング・シルバに判定勝ち、そして決勝では“ダークホース”ヴィクトル・アキモフ(ロシア/ブラジリアンタイ)から2度のダウンを奪ってKO勝ちで栄冠を勝ち取った。
「今の率直な気持ちは嬉しい以外に何もない。MAXは過酷なトーナメントとして知られている。その中で3連戦を勝ち抜いてきた。嬉しくないわけがない」と、試合後インタビューで笑顔を見せたコプリヴレンスキー。
トーナメント最大の山場だったブアカーオ戦を振り返り、「ブアカーオは少年時代からの英雄であり、アイドルだった。尊敬する選手だった。でもファイターである以上は相手がブアカーオであろうと倒さないといけないので心を鬼にして戦いに臨んだ。試合後に、彼が敬意を表してくれたことは嬉しく思っている。試合で意識したのはキック。あと距離を取ることを戦略の軸として置いて、ブアカーオが距離を詰めてきた時の距離の取り方を意識していた。ダウンを奪ったコンビネーションは偶然ではなく、理想的なプランに沿ったものだった」と話す。
目がいいブアカーオに攻撃をかわされる場面が多かったにも関わらず、なぜハイキックでダウンを奪うことが出来たか。その質問には「ブアカーオに攻撃をよけられていた時は、正直焦りは少し感じていた。ただ、その中で自分の方が確実にリーチが長いということがあり。よけてはいたがブアカーオに自分が当てられていた距離があったので、そこでもう少し伸ばせば当てることが出来るかもしれないし、その距離に入ることが出来れば確実に当てることが出来ると思っていたので、これは攻略の糸口を見つけたなということが頭をよぎった」と、この距離なら当たるという距離を把握したからだと明かした。
決勝戦に関しては「自分が考えていたことは今までの努力であったり、決意というところだった。特にこの2カ月半はとても自分を追い込んで、自分にハードなトレーニングを課していたところを踏まえ、改めてその日々を思い出していた。そして今日、最高の形で優勝したことで全てが報われたと思う」と振り返る。
準決勝でローキックのダメージが負っていたように見えたが、と聞かれると「見ていただいた通り、準決勝で足を攻められて足に痛みを抱えていた。でも痛みのことは全く考えず、気持ちで乗り越えようと思っていた。あと、決勝でふたつ意識していたのは、時間をかけないで最短で決着をつけることと、ローキックをもらなわいこと。その2点を意識して取り組んだ結果が最後の結果になったのだと思う」と、精神力で乗り越えたとする。
カルロス菊田K-1プロデューサーは、次にムジンスキとの再戦かK-1スーパー・ウェルター級王者のオウヤン・フェンとのタイトルマッチを組みたいとしたが、どっちを優先させたいかと聞かれると「ベルト。そこを狙っていく」と、フェンとのタイトルマッチを優先させたいときっぱり。
そして最後に「私が感じているのは、前日会見で魔裟斗さんが言っていた、トーナメントは運ではなく明日一番強いヤツが勝つという言葉。それは心技体という意味で、私はそれを証明できたのかなと。私が心技体において一番強かったことは明白ではないかなと思います」と、この日、心技体の全てが強かったのは自分だったと話した。