「ブロンクスからやって来た男」が手にした石は誰にでも──
「二度と歩けない可能性がある」と言われたとき、オリヴェイラ一家は諦めることを拒否した。
18歳になるまで注射を続けたオリヴェイラは、もう十分だと判断した。
「こんな風に治療を続けて、好きなことをしないよりも死にたい」と、オリヴェイラは当時の両親に語ったという。
2008年3月15日、オリヴェイラはチームメイトのフラビオ・アルバロが怪我のために、「Predador FC 9」ウェルター級GPを欠場せざるをえなくなったとき、18歳でプロのMMAデビューを果たす機会を得た。1階級下の彼は、のちのUFCファイターであるヴィスカルジ・アンドラージを含む3人をフィニッシュし、その日“ドゥ・ブロンクス”のニックネームが授けられた。
“ブロンクスからやって来た男”は、本誌の取材にこう話した。
「当初、僕がフォーカスしていたのは柔術で、それが僕が最も愛したものだ。多くの人々が僕にMMAに行くように言い続けた時があったけど、僕はMMAが好きじゃなかった。でも地元でチャンピオンになったとき、僕は本当にMMAが好きになり始めたんだ。家族や地域社会を助けることができることに気づいた。僕が学んだ最初の教訓のひとつは、お金をかけないこと。そのうえで好きなことをすること。僕はMMAをすることを本当に楽しみ始めた」
現在、オリヴェイラはグアルジャに住む恵まれない子供たちのために、無料の格闘技トレーニングを提供する非営利団体「シャーウス・オリベイラ・インスティテュート」を設立し、グアルジャのファヴェーラに約500食分の食料を寄付するなど、かつての自分のような子供たちに、困難にうちかつ機会を与えようとしている。
父フランシスコはかつて、息子たちとテレビの前に座り、ブルース・バッファーが選手をコールする姿を指して、「いつか彼は君の名前を言うだろう」と言った。
そして、息子たちにゴリアテを打ち負かすための石を、手渡した。オリヴェイラは、戦いの旅に出るたびにそれをポケットにしのばせる。
「僕は自分が欲しいものを手に入れるために毎日一生懸命働いている。立ち止まってそのすべてについて考えるとき、僕の家族は僕がしたことすべてを誇りに思うことができると思う。僕は何もないところから来て、今どこにいるのか見ている。UFCチャンピオンになって、たくさんのお金を稼ぐことができても、出身地や経験したことを忘れることはない。毎晩寝るとき、僕が誰であるかについて考える。
バスに乗るお金が無くて、柔術大会のあと何時間も歩いて家に帰ったのを覚えている。昼食時にサンドイッチを共有したことを覚えている。ファヴェーラで生まれたかどうかに関係なく、一生懸命働いたり、頑張ったりすれば、物事を手に入れることができることをみんなに示したいんだ。
子供たちに言いたい。あなたは盗む必要はありません、あなたは麻薬を輸送したり、何か間違ったことをしたりする必要はありません。僕は薬物を使用したことがなく、使用しなければならないと感じたこともありません。僕は、子供たちに彼らが、彼ら自身の手で人生にうち勝つことができることを示したい。彼らは彼らが望むところに行くことができる。再びベルトをファヴェーラに持ち帰り、すべての子供たちがそれに触れることができると想像してほしい。それはきっと貴重な機会になるだろう」
巨人を打ち倒す小石は、誰でも手に入れることが出来る──そう望みさえすれば。
そんなシャーウスを父フランシスコは、誇りに思うという。「彼は子供の頃からファイターで勝者です。医者は彼がサッカーボールを蹴ることができない、と言った。そしていま、彼を見てください」。