「二度と歩けないかもしれない」オリヴェイラが柔術大会で優勝
シャーウス・オリヴェイラは、試合後、1枚の写真を投稿した。
「いつも私とともに!」と記されたその石は、父親が彼に託したもので、聖書の少年ダヴィデが巨人ゴリアテを倒すのに使った石を象徴しているという。
物語でダヴィデは、ゴリアテを討つために、王サウルから鎧と剣を渡されるが、ダヴィデはそれらを脱ぎ捨て、武器は石のみの軽装で巨人と対峙。その額に石を打ち込み、倒れたゴリアテの剣で首を斬り落としたとされる。
オリヴェイラは、父からもらったこの石を試合時に必ず携え、勇気を得ている。
ブラジルサンパウロ州グアルジャのファヴェーラ(貧民街)で、父フランシスコと母オザナ・オリヴェイラのもと生まれ育ったシャーウスは、幼少期にサッカーを経験したが、7歳の時に心雑音とリウマチ熱を発症し、歩行困難となり、サッカーを辞めて入院した。
9歳から2年間の入院時には、ドクターから「歩くことは出来ないかもしれない」と宣告された。11歳で退院できたものの、週に2回抗生物質の注射を打たなければならず、激しい身体活動は避けるようにアドバイスされた。
しかし、その時、オリヴェイラは2つのメダルを獲得していた。ドクターが「不可能だ」と言った2カ月後、地元のブラジリアン柔術の大会に出場し、優勝していたのだ。
オリヴェイラが住む町は“ブロンクス”と呼ばれる。ニューヨーク州のブロンクス区に由来するその名は、ポルトガル語のスラングで貧民街を意味する。
ファヴェーラの柔術道場に通ったオリヴェイラに、月謝を払う余裕はなかった。しかし、叔父が柔術アカデミーのコーチと知り合いだったため、無料でトレーニングを受けることができた。その後グアルジャで「柔術などの格闘技を習うことで子供たちを犯罪から遠ざける」ソーシャルプロジェクトも始まり、奨学金で柔術を学んでいる。
手足の問題がなくなる18歳まで注射を受け続けたオリヴェイラを支えるため、父は食肉処理場で働き、地元の農家の市場で卵を販売、母は学校と校長の家で掃除婦として働いた。寝る間も惜しみ、路上でチーズやスナック、段ボールなども売って子供たちを養う日々。UFCのインタビュー動画で、オザナは「彼は足を動かすことが出来ず、深刻な状態でした。彼のベッドの隣りの床で寝て、朝5時に起きて仕事をした後、病院に戻りました。家に帰らずに病院から仕事に行くことも多かったです」と、当時を振り返る。
Roberto 'Satoshi' de Souza draws motivation from Charles 'Do Bronx' Oliveira's success and wants to try his hands against his old BJJ rival in an MMA fight 👊
— Sportskeeda MMA (@sportskeedaMMA) May 25, 2022
What are your thoughts on @ToshiJJ vs @CharlesDoBronxs MMA fight? 🤔#UFC #MMA pic.twitter.com/k3gspi5R6D
オリヴェイラは、2003年に白帯として初のメジャータイトルを獲得し、青帯時代には、のちのRIZIN王者ホベルト・サトシ・ソウザとも対戦。ブラジリアン柔術では、ボンサイ柔術のサトシの牙城を崩すことは出来なかったが、2008年にプロMMAデビューを果たすと、12連勝でUFCと契約。2010年にダレン・エルキンスを腕十字に極め、エフレイン・エスクデロにもリアネイキドチョークで一本勝ちし、マカコとエリクソン・カルドソからブラジリアン柔術の黒帯を授与されている。