カマルのおかげで僕は強くなった
──2021年8月、あなたは“Bellatorバンタム級最強”の声も高いマゴメド・マゴメドフを大激闘の末に下しました。そして試合後のインタビューで「アメリカン・レスリングは常にダゲスタン(マゴメドフの出身地。カビブ・ヌルマゴメドフをはじめ超強豪レスラーを続々輩出している)を倒すんだぜ!」と叫びました。
「ハッハッハ!」
──続いて「ナイジェリアの血も僕を支えているからね!」とおっしゃっていたのですが、あなたのご両親はナイジェリア系なのですか。
「父がナイジェリア出身なんだ。母はアフリカ系だけど、アメリカ人だよ」
──カマル・ウスマン、イスラエル・アデサニャ等、現在MMAを席巻しているナイジェリアン・パワーをあなたも担っているのですね。そんなあなたのプロモ(マイクアピール)は、いつもエネルギーに満ち溢れていて最高なのですが、小さい頃からあんな感じだったのですか?
「そうさ! 小さい頃からスーパー…カリスマに満ちていたよ! ハハハ! 僕のカリスマに魅了される者もいれば、単に……うざいと思ってた奴もいただろうね!」
──(笑)。
「まあ、僕はずっとこんな感じさ!」
──なるほど。子供時代にはMMA等に興味ありました?
「いや、MMAのことは何も知らなかったよ。空手をやってオレンジ帯とかだったけど、ママにやらされてただけさ」
──なるほど。そして高校になってから始めたレスリングで、テキサス州代表チームに選ばれるほどの戦績を残したと。
「始めたのが遅かったから、それだけ余分に練習したんだよ。練習時間よりも前に来て反復練習をして、遅くまで残ってやった。夏の期間はみんな休むんだけど、僕はそこでもフリースタイルやグレコローマンの練習をしていたんだ。みんなに追いつくためにね」
──その州代表チームのコーチだったのが、あなたと同じナイジェリア系のカマル・ウスマン(現UFC世界ウェルター級王者)だったんですよね。当時の思い出はありますか。
「僕が初めてチーム・テキサスの練習に参加した時、カマルはアシスタントコーチだったんだ。そこで別のコーチが彼に『こいつは練習に参加するのがはじめてで、パートナーがいないからレスリングの相手してやってくれ』って言ったんだ。で、僕が思うにカマルは動揺して機嫌が悪くなったんだよ。なんで俺がレッスルしなくちゃいけねえんだ、ただコーチとして来てるのに、って」
──あらー(笑)。
「それで苛立った状態で僕とレッスルして、ボコボコにやっつけてくれたというわけだよ。もうサディスティックな感じでね。向こうの方が僕より強いし大きいし、さんざんにやられたよ。なんというか苦い思い出だね。でも長い目で見れば、おかげで僕は強くなったんだ」
──ナイジェリアン・ブラザーとして、以後もあなたに目をかけてくれたのですよね。その後あなたは、ウスマンと同じネブラスカ州立大学カーニー高に進学し、彼に続いてNCAAディヴィジョンII王者となります。その頃はオリンピックを目指していたのですか。
「そう、それが目標だったんだ。そうやって名を上げようと思っていたんだ」
──それがMMAに焦点を移すようになったのは、MMA軽量級パイオニアのジェンズ・パルヴァーとのきっかけだったと聞いています。
「ジェンズのやつが、僕を騙しやがったのさ!」
──(笑)。
「彼はまず僕に『うちのジムでレスリングを教えてくれよ!』って言ってきた。そして教えるようになったら、次は『なあ、ちょっとだけクラスにも出てみろよ』と来たから、じゃあやってみるか、ってボクシングクラスに参加したんだ。次には『いいね、柔術のクラスも参加してみろよ』と来るんだ。僕が何かをやるたびに、『これもやってみろ、あれもどうだ』って言われて、こっちもいろいろやり出してしまったんだ」
──ジェンズにハメられたと(笑)。ジェンズがジムを閉めた後は、アイオワのパット・ミレティッチの下で練習。2人のMMAレジェンドから手ほどきを受けたことになりますね。
「本当に恵まれたよね。おかげでここまで辿り着くことができた。初代UFC王者のジェンズが最初の僕のMMAの最初のコーチだったおかげで、多くの悪い習慣を身につけずに済んだ。ミレティッチのところでも同じだ。ジュニア・ヘルナンデス、エリック・シェルトン…キャリアの初めから優れた人々の周りにいたことは、まったく幸運だったよ」