格闘技文化の原点である日本のファンの前で試合をしたいって心から思っている
──なるほど。勝っても負けてもそれを分かちあい、常に寄り添い支え合う「家族」という存在が、ファイターとしてのご自身にどういう意味を持たせてくれていると思いますか?
「全て。かな。強さにおいても、名誉という点でも……、たとえば、そうだな、俺は日本とヒスパニックの家族観というか、文化って通じるものがあると思ってるんだ(※アーチュレッタは、カリフォルニア州スルタナでスペイン系とメキシコ系の両親の間に生まれた)。というのは、まず父と母を何より敬い、そしてそれが家の名を継いでいくという自覚につながる。ゆえに責任も伴うし、尊重もするようになる。
そういう意味で、俺は対戦相手を揶揄するような物言いとかっていうのもしたくないんだよ。父は俺のことを自分が育った環境以上によりよく育ててくれた。俺は誰のことも決して見下したりなんかしないし、拳を交えるとなったら誠意を持って相手と向き合う。ストッツだって、彼は偉大なアスリートであると同時に、素晴らしく家族思いの人間でもあるってことはよく分かってるよ、家族のためにならなんでもするんだって思いを持った人なんだってね。だけどそれとは裏腹に、汚い言葉を使って相手をくさしたりするだろ、相手を蔑むようなことを言ってさ。少なくとも俺にとっては、そういうの良くないよねって思うし、自分は悪漢ではないから。
だってMMAファイターというものをリスペクトしているし、格闘技というものをリスペクトしてるから。そういう意味で、やっぱりその、日本から始まった格闘技文化の根っこにあるものっていうのは、純粋に強さというものを求め、そこに名誉が伴い、そして何より敬意というものがある。相手に挑んで来られない限りは自分が持ちうる技術というものを必要以上に見せつけるような真似もしない。それこそが自分が求める誇りだよ。
俺はケージに足を踏み入れ、格闘技というものに取り組むその瞬間に思うことは、格闘技というものはどこから来たのか、武道の発祥の地としての日本に敬意を払うようにしているんだ。その旅路であったり栄誉に対して。これはスポーツに敬意を表するということは、このスポーツの創生期から多くのものを与えてくれたということに対しての敬意であり、今や我々がそこに大きな光を当てているんだという自覚を持つようにしているんだ。アスリートやファイターが、このスポーツの美徳である名誉や強さ、尊敬、忠誠を示すことができるのなら、それはいいことだろう。そしてそこにファンが根付いていくことになる。自分としては、その格闘技文化の原点である日本のファンがもっと増えたらいいなと思っているから、いつか日本のみんなの前で試合をしたいって心から思っているんだよ」
──アーチュレッタ選手の格闘技観が伝わる言葉でした。先ほど決勝はご自身と堀口選手になるだろうと予想されていましたけれど、もし決勝の開催地が日本になったら、アーチュレッタ選手にとっても、理想的な展開と言えますね。
「そうだね、もし2人ともファイナルに進出したら、グランプリを締めくくるのにこれ以上の場所はないだろう。“聖地”さいたまスーパーアリーナでみんなの記憶に残るような試合をしたいとも思うし、東京ドームになったりしたらそれもすごいことだよね」
──ちなみに、100万ドルの獲得賞金の使い途とかを考えたりもします?
「俺は“取らぬ狸の皮算用”ってのはしないんだ。家族と自分の将来のために投資を続け、そしてさらにこの競技のために還元をしていくのみだ。アスリートとして、格闘技をさらに発展させるための力になりたいと思っている。いま現在も、高校でレスリングを教えていて、自分の得意分野を発揮できているんだ。俺の子どもたちも、これから中学生になる子もいるし、そろそろ自分の方が見守る立場というのか、自分が格闘家として辿ってきた道のりであったりその旅路についてを語り伝えて、子どもたちの成長をサポートしていかなくてはね」
──その伝えるべき試合がいよいよです。日本のファンに向けて、試合の見どころを教えてください。
「日本の格闘技ファンはグラップリングが好きだし、それでいて派手なスタンディングも好きだっていうのもよく分かっている。でも何より、グラウンドになったときに、パウンドを打ち込むような展開以上に、つまり誰かがテイクダウンして、パスガードしてっていう攻防を楽しめる人たちだと思ってる。でも俺は血生臭い試合をしたいんだ。ヒジを使ったりするようなね。だからこの試合は血みどろの試合になるって思っているし、一方でグラウンドでもものすごいエネルギーを費やすことになると思う、そしてそこで自分のグラップリングの実力を見せられると思っているし、グラウンドでパウンドも効かせて、とにかくこの試合を完全にコントロールし、ハイペースで進めたいと思ってるから楽しみにしていてほしい」