ムエタイ
インタビュー

【BOM】日本人初のムエタイ2大殿堂制覇・名高の次の目標は「スーパーチャンピオンに勝っての外国人初ラジャ2階級制覇」

2019/05/28 13:05
2019年6月1日(土)神奈川・横浜文化体育館で開催されるムエタイのビッグマッチ『BOM SEASON II vol.2-The Battle Of Muaythai』。  今大会でタイ国スポーツ協会認定ナーイ・カノム・トム ライトフライ級王座決定戦を行うルンピニー&ラジャダムナンスタジアム統一ミニフライ級王者の名高・EIWA SPORTS(エイワスポーツジム)が、意気込みを語った。  名高は昨年12月、ラジャダムナンスタジアム認定ミニフライ級王座を奪取し、日本人として7人目の同スタジアム王者になり、今年4月15日にはルンピニースタジアム認定同級王座も獲得。日本人初のルンピニー王者になると同時に、ムエタイの2大殿堂であるルンピニーとラジャダムナンの王座を同時に保持した史上2人目の外国人(タイ人以外)選手となった。さらに4月には、日本人選手として初めてルンピニースタジアムが選出する月間MVPにも選ばれている。  今回よりミニフライ級(-47.6kg)からライトフライ級(-49.0kg)に階級を上げて2階級制覇を目指す名高は、ゲンカー・ヌンポンテープ(タイ)とタイ国スポーツ協会認定ナーイ・カノム・トム ライトフライ級王座決定戦を行う。ナーイ・カノム・トムとは“ムエタイの父”と呼ばれる伝説の英雄。その英雄の名を冠したタイトルを懸けて名高がゲンカーと争う。主催者によれば、これはタイ国スポーツ協会がムエタイの父を称えるために創設したベルトだという。 空手時代は怖くて試合をやっていません ――昨年12月9日、17歳でラジャダムナンスタジアム認定王者となり、続く4月14日、18歳でルンピニースタジアム認定王者となって、ムエタイ二大殿堂タイトルを統一。全世界の「最強格闘技ムエタイ」を目指すファイターの頂点に立つという大偉業を成し遂げました。 「ありがとうございます! けど、ここからが“始まり”です」 ――階級は、最軽量級のミニフライ級(105ポンド、47.62kg)とはいえ、「ルンピニースタジアム認定タイトル獲得」「ルンピニー、ラジャダムナンスタジアム認定王座統一」と日本人初を17歳、18歳で成し遂げるという快挙は、圧倒的です。 「『世界初』をやりたいのでまだまだです。外国人によるルンピニーとラジャの統一チャンピオンは、ユセフ(※1)がやりましたし。まだラジャを二階級制覇した外国人王者はいないので、今は、それを最大の目標にしています」 ――日本では、フライ級(50.8kg)がほぼ最軽量となるだけになかなか日本での試合の機会がありません。 「そうですね。プロで30戦していますけれど、日本人と試合したのは、星野梨衣智戦(2016年4月3日、45kg契約、判定2-0勝ち)と平松侑戦(2016年12月4日、ピン級、3RKO勝ち)2戦だけです」 ――もっと日本で日本人選手と試合をしたい? 「はい! でも、先月(4月29日)、石井一成選手とエキシビションマッチをやらせていただいた時、体格差とパワーの違いを感じたので、ちゃんと身体を作って純正のフライ級にして臨みます」 ――日本では「知る人ぞ知る偉人」といった具合ですが、タイでは今年4月の「ルンピニースタジアム月間MVP選手」に選出され、これも外国人選手史上初のこと。向こうの知名度は高いのでは? 「繁華街に行くと知らないファンの方から『ナダカー!』とよく話しかけられます」 ――そんな名高選手のここまでの経歴を改めてお聞きします。生まれも育ちも神奈川県横須賀市? 「はい、ずっと横須賀です」 ――家族構成は? 「兄が一人の二人兄弟です」 ――スポーツや格闘技との出会いは? 「4歳から極真空手を習いました。父がけっこう格闘技好きだったからだと思います。一緒にテレビでK-1とかを見ていました。(ジョルジオ・)ペトロシアンや(アンディ・)サワー、ブアカーオ(・ポー・プラムック)、魔裟斗選手とかの試合を見ていた記憶があります」 ――空手はかなりやり込んだ? 「週4回通って9歳まで続けました。緑帯にラインが入った3級までいただいて」 ――試合は? 「それが稽古は好きだったんですけれど、正直、試合が恐くてやっていないんです」 中学生の間にプロとしてムエタイ一本で生きていこうと決めた ――それが約10年後、こんなことになるとは。キックボクシングとの出会いは? 「地元のサークル的なところに9歳で入会しました。最初は「空手のプラスになれば」といった感じでしたけれど、パンチやキックの攻防がどんどん楽しくなっていって、試合にも出るようになって」 ――しばらくは、地元サークルに? 「11歳で今のエイワスポーツジムに入会しました。父がエイワのプロ選手でチャンピオンだった藤田ゼンさんと知り合いだったので、その縁がきっかけで。ジムには、試合をしたこともある朝陽(・PKセンチャイムエタイジム/品川朝陽)もいたし、練習仲間やトレーナー、練習設備など充実していて、何より中川夏生会長があらゆる面で完璧にバックアップしていただけるので、ここまで本当に練習と試合に集中することができました」 ――アマで17冠王となりますが、その快進撃はここから? 「エイワに入るまでは、4、5戦のキャリアでした。初タイトルが小6で獲ったBigBang28kg級で、相手は、6月1日に同じリングに上がる大田一航選手でした。一航選手には、その2か月前に負けていたので、すごく嬉しかったことを覚えています」 ――プロを意識したのは? 「中学生の間にプロとしてムエタイ一本で生きていこうと決めました」 ――その後、無数に行き来することとなるタイに初めて行かれたのは? 「先ほど話した最初のベルトを獲った後の小6です」 ――まずはムエタイ観戦やジム見学? 「初めて見るジムは、床はコンクリートむき出しでボコボコしていて、そんな環境でも自分と同年代の選手がプロとして物凄い練習量をこなしているのを目の当たりにして圧倒されました。ラジャダムナンスタジアムの試合は、ギャンブラーの熱気と声援が凄くて。けど、その雰囲気が好きで「ここで試合をしたい」ってすぐに思いました。それとその時、試合もしました」 ――小6の初渡タイで初試合? 「1ラウンド2分でしたけれど5ラウンドでヒジ打ちも(通常のアマでは頭部への攻撃など制限されるが)ヒザ蹴り、首相撲も無制限。足の防具を付けない生脚で、相手も大きくて何もできなくて負けました。「パンチで突っ込んでいけば倒せる」と思っていたのですが、蹴りもパンチもフェイントが攻撃でも防御でも凄くて、突然ギアが上げてペースがもっていかれるなど衝撃的でした。けど、そんな駆け引きが楽しくて「これだ!」と確信できるものがありました」 ――中学時代の夏休みや場合によっては高校に行かずにタイに移住するなどムエタイに懸ける若者もこのところ多くなっていますが、名高選手も? 「自分は、タイのジムに住み込み合宿したことはないんです。試合数日前に行って調整でジムを使わせていただくことはありますけど、ホームのエイワでしっかりと練習を仕切って試合に臨むやり方です」 ――日本で中学時代は、アマで戦い無数のベルトを巻くことになりますが、同期前後で今もプロで活躍する選手は? 「RISEでチャンピオンになった田丸辰選手や一航選手、朝陽とかですね」 ――総合アマ戦績は覚えておられますか? 「100戦ちょうどで81勝14敗5分です」 ――タイでの試合は、少年だったとしてもプロのスペックだったりしますが、その意味でプロ戦績は? 「自分の場合、中学を卒業してラジャダムナンスタジアムの試合からプロにカウントしています。それでここまで30戦25勝(13KO)5敗です」 ――そのうちタイ戦績は? 「20戦ぐらいです。ラジャが主戦場でルンピニースタジアムには、これまで2回出ています」 ――中学からは、ムエタイに専念とのことですが、学校や仕事は? 「高校は通信制に進学して心置きなくムエタイに専念することができました。今は卒業して、ジムでジュニアクラスの指導をしながらプロ選手としてこれ一本で生活しています」 ――「ムエタイとキックボクシングは似て異なる」という意見もありますが、名高選手は? 「まったく違います。けど、それぞれに魅力があると思います。ムエタイは、高度な技術のせめぎあいでギャンブルも相まって駆け引きが楽しめる感じで、キックは、ローキックを散りばめたコンビネーションが多くて、前に出て打ち合う熱い試合が好まれるといったところでしょうか」 ――名高選手は、キックボクシングはしない? 「そんなことはありません。ただ、やる場合は、ムエタイ選手としてムエタイの技術を駆使して戦うということです」 ――ご自身のムエタイスタイルは? 「フィームー(万能型)です。パンチも得意ですが相手の出方を見て戦術を変化させるといったタイプ。ですが、従来の型にとらわれず自分のオリジナルスタイルが築ければなと思っています。他にはない存在になりたいです」 ――そんな中でもお手本にされている選手などおられますか? 「同じサウスポーで最新のMVP選手のタワンチャイ(・PKセンチャイムエタイジム)です」 ――ムエタイの判定ポイントは、非常に難解で外国人に理解されにくいと言われていますが、ここまでムエタイを極めた名高選手は、その配分を理解されている? 「昔は、観戦していても勝ったと思った方が負けたりしていましたが、今では何となく分かります。ギャンブラーはシビアで、一見どっちかわからないような試合でも判定結果が発表される前に支払いを始めていたりするくらい明確なものがありますし、そこの理解が大切だったりもします」 今回はタイトルよりも『階級アップへの挑戦』がテーマとして大きい ――昨年12月9日、BOMの横浜大さん橋ホールで行われたラジャダムナンスタジアム認定ミニフライ級タイトルマッチで、王者ハーキュリ・ペッシームに見事勝利されたのも、単純な巧さ、強さだけではなく、そういった戦略も大きいのでは? 「そうですね。そのあたり、タイ人トレーナーや中川会長が綿密な作戦を指示していただけるので。ハーキュリは、ルンピニーのタイトルも保持していた(同タイトルはこの試合の直前に返上)事実上の統一王者で、身長もずいぶんと大きい(173cm)強敵でしたが、なんとか勝つことができました。今年のルンピニータイトルマッチも同じく強力なバックアップ陣を信頼して勝ち抜くことができました」 ――地元のビッグイベントでタイ国スポーツ協会ナーイ・カノム・トム・ライトフライ級王座を賭けてゲンカー・ヌンポンテープと戦います。 「タイトルマッチも光栄ですが、ライトフライ級(48.98kg)という階級が自分の中での大きなテーマです。相手は、50kg契約で試合もして勝っているのを見たことがあります。一筋縄ではいかないでしょう」 ――そんな相手にどう勝ちますか? 「無理に倒そうとすると空回りするので、いつものように流れの中で戦術を考えながら、それでいていくところはしっかりとパンチでも蹴りでも倒しにいって、KOは狙いつつ、最低限完勝します」 ――これでまたベルトが増えれば、プロで7冠王となります。 「光栄なことですが、自分としてはタイトルよりも『階級アップへの挑戦』がテーマとして大きいです」 ――現在の体格は? 「身長164cmの通常体重54kgです。背も伸びているし、骨格も発達してきているので、順調に大きくなっています。来年から再来年にかけてフライ級からスーパーフライ級が適正階級になればいいなと」 ――その上での目標は? 「今、ラジャで自分の1階級上(ライトフライ級)のチャンピオンがペーウプラオ(・ムアイデッド789)という気持ちが強くて試合が面白い人気選手なんです。大変な強敵なのは承知していますが、そんなスーパーチャンピオンに勝っての外国人初ラジャ二階級制覇が当面の目標です」 ――ムエタイの軽量級は“神の階級”とまで呼ばれ、日本人はおろか外国人選手も不可侵の聖域でした。それがここまで活躍できる日本人選手が現れようとは驚きの他ありません。 「そこまでの道と練習環境を作っていいただいた中川会長に感謝です。このご恩は、自分が指導させていただいているジュニア選手たちにお返ししたいです」 ――現在のジュニア選手たちにメッセージを。 「うちには、今、村井雄誠や吉成士門、瀬戸響貴といった年下の後輩たちが切磋琢磨して練習しています。彼らの手本であり目標となっていきたいな、と」 ※ユセフ=2018年2月、ラジャダムナンスタジアム認定ミドル級王座に続きルンピニースタジアム認定同級王座を奪取したベルギーのユセフ・ボーネンは、外国人王者史上初の二大殿堂統一王者となった。 (取材・文:BOM広報部) リングネーム:名高・エイワスポーツジムフリガナ:ナダカ・エイワスポーツジム所属:エイワスポーツジム生年月日:2001年1月8日(18歳)出身地;神奈川県横須賀市身長:163cm戦績:29戦25勝(14KO)4敗ステータス:ルンピニースタジアム認定ミニフライ級王者、ラジャダムナンスタジアム認定ミニフライ級王者、IBFムエタイ世界ミニフライ級王者、元WBCムエタイ世界ミニフライ級王者、元WMC世界ピン級王者 、元ルンピニージャパンミニフライ級王者
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