凡才なのは自分が一番分かっている
ケージの中でマイクを持った中村は、「『モノが違う』と言われていましたが、モノは違わない。運動能力は高くないんで、凡才なのは自分が一番分かっています。始めて1年ちょっととしてはいい出来でしたが、これからめいっぱい精進していきます。お父さん、ありがとう!」と、語った。
試合後のバックステージで、プロデビュー戦を、「レスリングとは違う、一発の打撃もある競技なので、負ける心配はしていませんでしたけど、“絶対”が無い競技なので、そこの心配はしていて、試合が終わって安心しました。(勝利にも)“よっしゃあ”という喜びが爆発するよりは“ああ、ここから始まるんだな”という気持ちでした」と落ち着いた表情で振り返った中村。
幼い頃から思い入れのある後楽園の舞台も「上がったら、その想いは全部捨てると決めていたんで、そういう余計な感情は置いて戦いました。終わったあとに感慨がこみあげてきました」と語った。
自己採点は「60点。ギリ単位取得です」という。
グラップラーとしては、異例の左ハイKOだが、「試合前から狙っていた技のひとつで、そのためにロー(キック)を蹴って(下に)意識させて、2Rに入るときにハイを蹴るために動いてそれがうまくハマった感じです」と、作戦通りに決めたフィニッシュだと明かした。
試合直前にレスリングの盟友、河名がTKO負け。前述の通り、気持ちが動いたが、「彼より僕は1年多く打撃をやっているので、そこは経験の差が出たのかなと思います」と、自信を持ってプロデビューのケージに向かったという。
「セコンドの高谷さんは普段は『ブッ倒しに行け』とか、『もっとスペースを作って殴りに行け』とか言ってくれますが、試合前には『泥臭くていい』と言ってくださいました」と、持ち味を活かした戦い方で背中を押されていた中村。
デビュー戦で“モノが違う”動きを見せたが、レスリング時代から、レスリングのためだけのレスリングではなく、いつか必ずやるであろうMMAを想定して、研鑽を積んでいたと言える。
気になるのは、「世界」を目指す中村の次戦だ。
「高谷さんたちの指示で動いていきたいです。国内上位ランカーとやってもいいのかなとも思いますけど、そのためには2カ月後とかではなく、ちょっと期間を空けてしっかり作って、国内上位とやるのであれば全然、戦えるなとは思います」と、すでにバンタム級の上位陣との戦いも現実的に考えている。
奇しくも、盟友と同日のプロデビュー戦。そして、ライバルたちがマットに向かう東京五輪と試合が重なった。
東京五輪は「めっちゃ(意識)した」という。
「俺のオリンピックが始まるって。(レスリングの日本)代表の方からも、高橋(侑希)くんとか乙黒圭祐選手とか、凄いメッセージをいただいて『勢いづけてくれ』『レスリングの強さ見せてくれ』と言われました。いい代表へのエネルギーになればと思います。(いいバトンを?)渡せたと思います」
中村は、MMAの日本代表として“金メダル”を掴むことが出来るか。バンタム級は怪物ぞろいの階級だ。もうひとつのオリンピックの初戦を突破した“MMAの子”は、「ここが『地獄の入り口』だと思っています」と、世界の頂に向けて、目を輝かせた。