魔裟斗と武蔵がトークを繰り広げる共同のYouTubeチャンネル『魔裟斗&武蔵チャンネル ムサマサ!』にて、「魔裟斗が総合ルールで闘わなかった理由とは?」と題してK-1vsMMA(総合格闘技)の戦いを両者が振り返った。
2001年8月にミルコ・クロコップvs藤田和之が行われたことがきっかけで、2002年から本格的にK-1vsPRIDEの対抗戦の火蓋が切って落とされた。
武蔵は『K-1 WORLD GP 2002 in 福岡』で対抗戦が行われた時に「K-1vsPRIDEだから試合前に珍しくみんなが集まって『K-1が最強や、PRIDEなんかに絶対負けへん』、『総合なんかに絶対負けんぞ』みたいな感じで。ピーター・アーツがやっぱり真ん中におったよ。それで『やろうぜみんなで。みんなで全勝』みたいな話になって気合いを入れたわけよ」と、対抗戦にK-1勢が一致団結して臨んでいたと明かす。
当時の気持ちを思い出したのか、武蔵は興奮して立ち上がり、「それでアビディが先鋒戦で行って(対戦相手はPRIDEのクイントン“ランペイジ”ジャクソン)、俺は(モニターの)画面越しに『頑張れ』って応援してたんや。そうしたら1R、パンチで速攻倒れた」と身振り手振りを交えて説明。
(写真)2002年7月14日にK-1で行われたK-1vsPRIDEの対抗戦。PRIDEのジャクソンがアビディに初回KO勝ち それを聞いた魔裟斗は「しかもパンチで? K-1ファイターが? ダッサ」と、ジャクソンに初回KO負けを喫したアビディに辛辣な言葉。武蔵も「何しとんねん」と思ったという。
武蔵はK-1ファイターに「PRIDEにライバル心があった」と言うが、魔裟斗は「逆に向こうの方があったんじゃないですか?」とし、「俺はやっぱりK-1ルールでしか戦わないじゃないですか。これはたまにネット論争があるんですけれど、魔裟斗は総合じゃなくてK-1ルールでしか戦わないだとか。なんか言ってる人いるんですけれど、そりゃあそうですよね。やったことがないというかやる必要がない。今は総合とK-1のパワーバランスが変わっているかもしれないけれど、その当時はK-1のパワーバランスの方が全然上だったので」と、当時はあくまでもPRIDE側がK-1に挑む立場だったとした。
魔裟斗も山本"KID"徳郁をはじめJ.Z.カルバン、レミギウス・モリカビュチス、川尻達也らMMAファイターとK-1ルールで対戦している。特に川尻戦については「川尻との試合ですけれど、入場の時にDREAMの選手が川尻に引き連れられていっぱい歩いてくるわけですよ。俺はそれを見た瞬間『カッコわり~』って思ったんですよ。『お前ら、川尻の全員子分かよ』みたいな。あの束になってる感が超許せなかった。それは(演出で)付いてくださいよって言われていたのかもしれないですけれど、男と男の勝負としてダッサいなと」と、違和感を覚えたという。
(写真)川尻の入場にはDREAM出場選手たちが後ろに並ぶ演出があったが、魔裟斗は「超許せなかった」 そして、自分がMMAルールで戦わなかったと批判を浴びることについて「こっちはK-1なので。あんたがこっちの舞台に挑んだんだから、そりゃあこっちの舞台でしょう。俺がそっちの舞台に挑んだんだったらあんたの舞台であんたが勝てばいい。そこでどっちが強いかとか、総合に来ないでしょとか言うのは全く違う畑の話であって。向こうは美味しいから来てるわけでしょう。向こうは美味しいと思っているんだよね。こっちの方がビッグネームなので。ビッグネームに挑んでもし勝ったらということだから。俺より小さいネームになんで俺がリスクを冒さないといけないのか」と、挑んで来る方が相手の舞台で相手のルールで戦うのは当たり前とし、武蔵も同意した。
K-1vsPRIDE、K-1vsDREAMは数回行われ、人気コンテンツだった。普段は実現しない戦いが実現し、ファンの興味を惹いたが、戦う側はやはり“自分の土俵だったら負けられない”とのプライドを持って挑んでいた。魔裟斗が言うように、後進格闘技イベントであったPRIDEが、K-1を利用して知名度を上げていったのは事実であり、DREAMも同様。魔裟斗と武蔵が言いたいのは、「こちら側から挑む理由がないのに、なぜ向こうのルールに合わせないといけないのか」ということなのだろう。
この動画の中では武蔵がPRIDEとの対抗戦での裏話や、魔裟斗が川尻戦前の裏話なども語っている。