(C)GONG KAKUTOGI/Oda Shuinichi
青木真也と平田樹、ちょっとした師弟関係にあるように映る両者が、初めて90分に及ぶ、長時間の対談を行った。ABEMA×GONG共同企画、青木×平田は、「MMAとは、格闘技とは何か」を青木真也が平田樹に説く、そんな時間となった。
2021年3月11日、平田のために1日限りの青木塾が開校された。そのロング対談から、スペースの都合上、泣く泣くカットし、MMAPLANETに掲載されたエピソードをここで紹介したい。対談の本編は、『ゴング格闘技』(NO.313)にて掲載中、そしてABEMAにて配信される。
「世界」って何だ?
青木 だからね、やっぱりどんどん格闘技の話をしなくなっていくの。これはもう本当に。北岡(悟)さんとか、八隅(孝平)さんとか、本当に格闘技が好きな人間とは「こうなっていて、こうなんだぁ」みたいなものを喋っているけど、他の選手とはどんどん格闘技の話をしなくなっていくんだよね。俺、「世界」って言わないじゃん。「世界チャンピオンになる」、「世界で一番になる」とか言わないでしょ。「世界で戦う」とか。それはADCCがあって……マルセロ・ガウッシアって分かる?
平田 ……いえ。
青木 マルセロ・ガウッシアっていうのは2003年にシャオリン・ヒベイロをアームドラックからバックを取って絞めて、グラップリングの世界観を変えた人で。シャオリンって分かる?
平田 聞いたことはあります。
青木 修斗のチャンピオンだったヴィトー・シャオリン・ヒベイロから、アームドラッグからのチョークで取って勝ったんだけど、これが革命で。僕はADCC世界大会に2005年に行って1回勝って、次にマルセリーニョとやって。もう相手にされなくて。
――1回戦で戦ったマルコス・アヴェランも米国のトップ・グラップラーでした。青木選手は相手のフィールドでしっかりと勝っています。
青木 NAGAって分かる? 分からないか(笑)。
平田 ハハハ。
青木 NAGAっていう大会があって、マルコス・アヴェランはNAGAのチャンピオンだったんですよ。マルコス・アヴェランとデイビッド・アヴェランというのは、グラップリング・シーンですごく有名で。当時はコブラカイのジョー・スティーブンソンとか、僕がすごく影響を受けた選手もいて。
階級別でマルセリーニョにやられて、次は無差別でホジャ―・グレイシーとやって。ホジャ―・グレイシーは分かるでしょ? ホジャ―・グレイシーにも負けて。ADCC後もグラップリングではクロン・グレイシー、ゲイリー・トノンにも負けて。
MMAの世界でいうトップどころでじゃ、エディ・アルバレスもそうだし。ギルバート・メレンデスに負けた。そこが結構すごく大きくて。当時のギルバート・メレンデスは、世界で一、二の選手だったと思っているから、そこで負けた経験があるから、何かこう……「世界って何だ」というものを、僕は弁えている。
――平田樹選手は柔道からMMAに来て、今は色々なことを学びたい。色々なことを消化したい時期にあるかと。青木選手の3戦目の頃ってどうでしたか。
青木 中尾(受太郎)さんが2戦目です。だから、僕は平田さんとすごく近いよ。キャリア的には。あなたのほうがどんどん先に行っているけど。僕も男子の中では……堀口(恭司)選手はピャーっと行ったけど、僕もDEEPでデビュー2戦して、すぐ修斗に行って5戦目でチャンピオンだから。
平田 へぇ……。
――今とは時代が違いますが、青木選手がADCCに出る前ぐらいからジムの垣根を越えたプロ練習が始まりました。
青木 それ以前はなかったですねぇ。DEEPの時は、今成(正和)さんたちとのスポセン軍団です。僕はチームROKENだった。
──懐かしい。
青木 そこからパラエストラへ行って……でもこれは不思議で、本当に今もソックリ。格闘技を教えてもらえると思って行ったの。所属になった。2004年から2005年頃。でも、いまだに1回も教わったことはない。正直、誰からも……ですね。八隅さんっていう、すごく優秀なコーナーマンがいて、そして北岡さんがいて。「どうなんですかねぇ」みたいなことを、ずっと試行錯誤しながらやってきた。いまだに「先生は誰ですか?」と言われても、いないもん。だから、平田さんとは凄く似ていると思う。
――とはいえ、あの頃と違い今は強くなるテキストブックがあります。
青木 ありますね。あの頃は、ただスパーリングをやるだけで。ドリルもなかった。技術練習もなかった。皆がヒザ立ちからスパーリング。確かに立ちからやっていた僕たちは、珍しいほうでしたね。