2021年1月11日(月・祝)東京・新宿FACE『REBELS~New Year Festival~』の記者会見が、12月14日(月)都内にて行われた。
同会見の最後に、初代REBELS-BLACK 67kg王者で2014年には65kg王者にもなったUMA(ゆうま/K&K BOXING CLUB)が1月11日付けで引退を発表。前日に30歳を迎えたばかりだった。
「目の怪我により引退することを決めました。試合を楽しみに、復活を楽しみにしてもらっていた人たちには申し訳ない気持ちです。すいません。試合がしたかったんですけれど、左目が思った以上にもろくなっていて、これ以上衝撃を受けると日常生活にかかわると言われたので、あと2~3年頑張るのと、これから生きる人生の長さを天秤にかけたら怖いなって気持ちが出てきたので引退を決めました」と、引退の理由を話すUMA。
左目は「この1年で4試合やって1Rで倒すことができていたので、ここの練習で(笑)。スパーリングが激しくて強い選手が多いので。北海道にいる時はスパーは試合と試合の間で2~3回しかしてなくてガンガン行ってたんですけれど、それが日頃蓄積したのかなって感じです」と、激しいスパーを続けたダメージの蓄積だったのではと説明した。
「去年、試合が順調に行ったので今年こそステップアップの年と言うか、今年に勝負をかけようと思っていた年だったので…去年の12月に試合してKO勝ちで絶好調という感じで。でもクリスマスに急に眼が見えなくなったので、“(キックをやるのは)もう1年でよかったのにな…”って思って。網膜剥離は今の医学なら復帰している選手もいると聞いて、またすぐにスパーをガンガンやっちゃったんです。自分的には興奮しているから痛くないし、ガンガンやってたんですけれど、また急に見えなくなっちゃって。見えなくなった時を思い出すと怖いので、試合もしたかったんですが今後のことを考えて辞めることにしました」
(写真)2019年10月、REBELS 67kg級初代王座決定戦で勝利して2階級制覇を達成 生涯戦績42戦25勝15敗2分の中で、どの試合が最も印象に残っているかを聞かれると「REBELS初出場の時です。23~24歳の時。ちょうどもうキックボクシングを辞めようと暗い気持ちでノっていない時期で、仕事も始めて仕事明けで初めて(2013年4月14日の)REBELSに呼んでもらって。MA日本ウェルター級チャンピオンの中澤(純)選手とやらせてもらったんです。噛ませ犬で呼ばれたと思うんですが、それで奇跡的に勝っちゃったんですよ。そうしたら次の試合は健太選手(笑)。健太選手はKrushで佐藤嘉洋選手に勝ったくらいの時でトップ中のトップで。意味分からないくらいステップアップしちゃって(笑)。その試合は負けちゃったけれどいい試合ができて、ここで辞めるのはもったいない、トップとできたからもうちょっとやってみようと続けていたらここまで来れました」と振り返った。
(写真)2019年12月1日、喜入衆に1RでTKO勝ちし、ルンピニージャパン・ウェルター級王座を奪取した試合が最後の試合となった 今後については「正直、あまり考えてないんです」と未定だという。「キックボクシングを通じていろいろな人と出会うことができました。そういう人たちと相談して、自分が本気でやりたいことを探していこうと思います。格闘技からは離れないですね。(地元の)札幌にキックボクシングを今後も普及して行きたい気持ちもあるし、キックボクシングしかやってこなかったので、キックを通してということもありますし、今はラーメン屋でバイトをしていて楽しくて。そっちもいいかなって思いながら。いろいろな選択肢があるので、周りの人たちと相談しながらやりたいことを探します」と、第二の人生で何をするかはゆっくり考えたいとした。
UMA(未確認動物)というリングネームは気に入っていたのかとの質問には「本名が裕馬でそれに引っ掛けていたんですが、元々、当時は北海道から出ている選手がいなくて、得体が知れないみたいな、訳わからないようなイメージで、そういう選手が東京の選手をぶっ倒すぞっていう意味で付けました。そのおかげで覚えてくれる人もいたので、今思うとリングネームを変えてよかったなと思っています」と答えた。
そして「元々ここまでやるつもりはなかったんですが、ファンがまた見たいって言ってくれることだったり、周りの人が応援してくれるからここまでできました。プロになってちょうど10年目。ここまでできるとは思っていなかったので周りの人に感謝しています」と締めくくった。
なお、引退セレモニーは2つのタイトルを獲得した思い出の会場である後楽園ホールにて、REBELS2月大会で行われることが発表された。