晴れやかな表情で一夜明け会見に出席した水町 (C)K-1
2020年11月3日(火・祝)福岡国際センターで開催された『ECO信頼サービス株式会社 PRESENTS K-1 WORLD GP 2020 JAPAN』の一夜明け会見が、4日(水)福岡市内で行われた。
会見には第3試合で竜樹(WSRフェアテックス九州)に延長戦の末判定3-0(10-9×3)で勝利し、その場で引退を発表した水町浩(士魂村上塾)が出席。前夜の試合を振り返った。
(写真)渾身のフックを叩きつける水町
「自分が選手としての最終章をK-1でやろうと決めて、自分の地元の九州でK-1が開催されることでそこで話をいただいた時に願いが通じたんかと思ってビックリして、そこで最後全部出し切って終わろうと話をいただいてからは腹をくくってやりました」
引退を決めた理由を聞かれると「20代の時は30歳の時はやっていないと思っていたし、30歳になったら35は絶対にないなと思っていて。35の時も40は100%ないなと思っていたんですよ。でも昨日試合していたので。これどんどん続いていくのかなと思っていたんですけれど、さすがに次の人生のことも考えないといけないなと思って、そろそろかなと思いました」と決断したという。
今後については「格闘技を始めた理由は自分が強くなりたくて始めたんですけれど、キャリアを積んでいく内に人のためと言うとおこがましいですが、自分のために戦うというよりも周りの応援してくれる人や、全く関係なくても試合を見て勇気を与えられるような選手になりたいなと。それが戦うモチベーションになってきたので、特に昨日は最後と決めていたので全部人のためと思ってやりました。今後はせっかくキックに20年以上関わってきたので、キックボクシングの楽しさ、格闘技の楽しさを教えられるようなジムを自分で出来たらなと思っています」と、自分のジムを持ちたいとした。
(写真)MA日本タイトルは二階級制覇を達成
1999年1月にMA日本キックボクシング連盟でプロデビューして以来、第4代MA日本スーパーライト級王座、第18代MA日本キックボクシング連盟ウェルター級王座、初代WMAF世界ウェルター級王座の三冠を達成。特に木村允とのライバル関係はMAのリングを盛り上げた。
20年以上にわたって現役を続けてこられたのは「これは間違いなく、戦っているのは自分一人ですが周りのサポートですね。昨日も一晩眠れなくて20年間のことを考えていたんですけれど、試合を考えたというよりは一人一人の顔、この人に支えてもらったし、嫌いな人の顔も出来てきましたし、でもそれもパンチ一発につながったし。自分以外の人とのつながりでやってこれたと思います」と、多くの人たちとの関係があったからだとする。
(写真)若い時は飛びヒザ蹴りを得意としていた
「自分の中で昨日で終わりだなと思っていても、今までも怪我をしてこれで最後だろうとか、いつか終わりが来ると思っていて。でも数カ月するとやりたくなるんですね。そんな感じだろうなと今朝も思うんですが、でもやめるといったので復帰はないです。心境は変わらないですが戻ることはないです」と、本当に今回の試合が最後だと笑った。
生涯戦績53戦29勝(12KO)19敗5分の中で、最も印象に残る試合はと聞かれると「むちゃくちゃ難しいですね。瞬間的に出てきたのは昨日の試合ですかね。自分が好きで強くなりたくて始めた格闘技でも、最後は自分のことは考えなくて周りの応援してきてくれた人とか見ている人に捧げるみたいな気持ちで戦えたのは、100%その気持ちで戦えたのは昨日が初めてなのであえて言うなら昨日かもしれないです」と、前夜の試合をあげた。
(写真)右は師匠の村上竜司。士道館の添野館長や同門のマグナム酒井らの姿も見える
また、同大会に出場した37歳の山本真弘など、長くキャリアを続けている選手は他にもいる。そういった選手たちにメッセージはあるかと問われた水町は「それこそK-1 JAPAN GROUPに参戦させていただいた時は自分は37歳だったんですけれど、対戦相手が20くらいの選手で。毎回聞かれるのが『20歳とやりますけれど…』って。確実にそうなってくるんですよ。自分も20の時は上の人たちを喰って勝ってきたし、それは絶対にキャリアを積んできたら必ずあることなので。
こういう激しいスポーツは若い人たちが華やかに活躍するのが当然だし、楽しいし、面白いし、輝いているんですけれど、本当の意味で未来があるのは自分とかよりももう少し上、44とか45の人がもし活躍できれば今の20代の選手はもっと希望を持てると思うんですよ。まだ先があるぞと。それも思って40でもまだいけるぞと思って戦って、希望を与えたい夢もあったので、後に続いて欲しいというか。無責任なことは言えませんが納得するまで頑張って欲しいですね、そういう選手たちには」とエールを送った。