4月20日(土)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.60」に「筋肉美女」ぱんちゃん璃奈(STRUGGLE)が参戦する。プロ2戦目ながら、対戦相手はプロキャリア9戦のSae_KMG(クラミツムエタイジム)に決定した。
ぱんちゃんは2月17日の「パンクラス・レベルス・リング1」で、REBELSとの複数試合契約を掛けた「パンクラス・レベルス・トライアウト」で川島江理沙(クロスポイント吉祥寺)と対戦。デビュー戦同士ながら「筋肉美女vs現役女子高生ファイター」として大いに注目を集めた。
TOKYO MXではスポーツ情報番組「BE BOP SPORTS」でレギュラーコーナーとして対戦を盛り上げ、試合はゴールデンタイムで生中継。デビュー戦としてこれ以上ないほどの注目の中、ぱんちゃんが2度のダウンを奪って判定勝利し強さを見せつけた。
華々しくプロとしてのキャリアをスタートさせたぱんちゃんだが、キックボクシングに出会うまでは波瀾万丈。笑顔の裏に隠した「人生の挫折」を初めて明らかにする。(取材・撮影=茂田浩司/REBELS)
「長距離で一番になる夢」を疲労骨折で断念。「生きてる意味も分からなくて、フラフラしてました」
リングネーム「ぱんちゃん」はアニメ「ドラゴンボール」の主人公、孫悟空の孫娘「パン」に似ているとよく言われたことから。「スーパーサイヤ人の血が入っていて、生物として強いと思って、このリングネームにしました(笑)」 ひたすら強さを追い求め「デビューから1年後には日本のトップレベルになる」と目標を掲げるぱんちゃんだが、東京・押上のSTRUGGLEに入門し、本格的にキックボクシングを始めてまだ2年。「2年前の3月1日に入門しました。それまでは将来の夢とかもなくて、何をしていいか分からなかった時期が長かったんですけど、この2年間はとっても濃かったです(笑)」
大阪府豊中市生まれ。2歳上の兄と1歳上の姉がいる。「末っ子で超甘やかされました(笑)。わがままに育って、こんな感じになりました(笑)」 子供の頃からスポーツ大好き。5歳から始めた水泳は10年間続けた。「アトピーだったので症状がひどい時だけは行けなかったんですけど、それ以外はずっと泳いでました。でも、元々体が細くて、体脂肪率が8%しかないので、体が全然浮かないんです(苦笑)。水泳は体が大きくて脂肪もないとダメなので、あまり向いているスポーツではなかったです」
受験して大学の付属中学に進学。そこでも水泳部に入ったが、その才能はまったく違う競技で開花する。「中学校のマラソン大会では、学校の歴代の記録を3年連続で塗り替えました。そうしたら陸上部から推薦が掛かって、中3の9月から陸上部に転向したんです。『本気で一番を目指そう!』と思って、朝も夜も走っていたら、中3の冬から9カ月間、シンスプリント(*脛骨過労性骨膜炎。スネの内側に激しい痛みを伴う)の痛みで苦しみました」
激しい痛みを我慢して走ったが痛みは増すばかり。とうとう我慢も限界に来て病院に行くと、医師の診断は「疲労骨折している。しばらくは運動禁止」だった。陸上に打ち込んでいただけにショックは大きかった。「まだ若かったので、それで挫折してしまって。スポーツしか取り柄がないのにそのスポーツが出来なくて、友達もあまりいなかったので学校に行かなくなって、自然と辞めていました。今思うともったいなかったなって思います。 私は体の成長が遅くて、18歳以降に成長したんです。キックを始めたら身長が3センチも伸びましたし(笑)。高1の頃は体重が40キロしかなくて、その体で毎日30キロ走っていたので(苦笑)。期待をかけられた分、頑張って練習したんですけど、まだハードな練習に耐えられるだけの体が出来ていなかったんです。その頃は『オーバーワーク』という言葉も知らなくて、疲労骨折は練習のしすぎだったと思います」
子供の成長は個人差が激しい。まして、3月生まれのぱんちゃんは同学年の子供と比べても最大で1年近いハンデがあるのだから、体の成長に合わせた指導が必要だった。 熱血スポーツ少女は、スポーツという自分の軸を失い、学校を辞めて、人生の迷路に迷い込んでしまう。「本当にスポーツだけだったので……。目標がないと生きてる意味もなかったし、友達があまりいなかったので誰かと遊ぶこともあまり出来なくて。引きこもった時期もありましたし、アルバイトしてた時期もあったし。17歳から一人暮らしをしてみたり、他の場所に住んでみたり、ずっとフラフラしてた感じですね。それで21歳の時に『このまま大阪にいてもダメになっちゃう』と思って、心機一転、誰もいない場所で一からやり直してみよう、と思って東京に来ました」
STRUGGLEでキックの面白さに目覚めた。「これをやるために生まれてきたって思っちゃって(笑)」
働きながら「スポーツがやりたい」と様々なことに挑戦する中で「格闘技」に出会う。これが転機となった。「最初は『大人のバック転教室』とか『アクション教室』とか2つぐらい、週6で通ってました(笑)。アクション教室ではいきなり先生とボクシングのスパーリングをすることになったんです。先生は素人の方だったんですけど、ボコボコにされたんですよ(笑)。それがちょっと楽しくて、蹴りも綺麗に蹴れるようになりたくなって、六本木のフィットネスキックボクシングジムに通ううちに『本格的にやってみたい』って」
スポーツ少女の血が騒ぎ、TRUGGLE(ストラッグル)に入門したのは2年前の3月1日。最初はエクササイズ会員だったが、すぐに「本格的にキックボクシングをやって、試合をしたい」と思うようになる。
「ある時『私はこれをやるために生まれてきたんだ!』と思っちゃって(笑)。陸上からすごく時間が空いてしまったんですけど、やっと『これ』というものに出会ったんです。それで(鈴木秀明)会長に言ったら『ああ……』って反応でした(笑)。それから2カ月間、毎日練習に通ったら『本気なんだな』って思ってくれて『試合に出てみな』って。その翌日に足を骨折してしまったんですけど『パンチだけで倒そう』と思って、J-NETの新宿フェイスの試合に出て勝ったんです。勝ち名のりを受ける時の光景が、泣いてしまったぐらい感動して……。『本気でプロを目指そう!』って決めました」
「これ」と思うと即行動。この2年間の間にタイ修行を5回敢行して本場でムエタイの技術を学び、長身と長い手足を武器に数々のアマチュア大会を制覇した。 そろそろプロデビューを、と考えていた時、REBELSから「パンクラス・レベルス・トライアウト」の話が来る。「昨年8月のKAMINARIMONで優勝して、会長から『試合のオファーが来てるけどどうする? 9月にプロデビューする?』と聞かれたんです。でも8月にいい試合が出来なくて、まだプロデビューする自信がなくて。『もう少し待ってください。年末ぐらいにデビューしたいです』って。そうしたら、たまたま『トライアウト』のお話をいただいて。最初は『11月ぐらいにデビュー』と聞いていて『こっちに出たい!』と思ったんです」
9月の記者会見で「パンクラス・レベルス・トライアウト」が発表された。その後、同月のアマチュア大会で優勝し、11月にはタイで防具なしのプロルールの試合を経験した。
「9月と11月の試合では技が出るようになったので自信が付きましたけど、一緒に練習したり、試合をした女子選手たちがどんどんプロデビューしているので焦りもありました。最初は『11月』と聞いていたトライアウトの試合が3カ月も伸びてしまって。『5カ月後? その間に何戦も出来るのに!』って。正直、イライラはしていて」
ぱんちゃんと川島は、TOKYO MXのスポーツ情報番組「BE BOP SPORTS」にそれぞれSTRUGGLEとクロスポイント吉祥寺から生中継で出演。練習の様子やインタビューが放送されて注目が集まったが、プレッシャーはぱんちゃんの方が大きかった。アマチュア大会での実績や、体格面とフィジカルでの優位など、下馬評は圧倒的に「ぱんちゃん有利」だったからだ。それだけに、デビュー戦から「絶対に負けられない戦い」として臨まなくてはならなかった。
「『負けたらどうしよう?』はありました。相手がプロで何戦もしてるなら、たとえ負けても『次に頑張ろう』と思えますけど、アマチュアで1回試合して勝ってて、その後も私の方が絶対に練習してるのに『これで負けてしまったら自信も無くなる』と思って。 でも、格闘技は100パーではないし、川島選手はパンチがあるのでラッキーパンチでダウンを取られたら、という不安もあって。だから、記者会見では大きいことを言ったかもしれないです。『絶対いける、絶対いける』って自分に言い聞かせてたので」
そうして、ぱんちゃんが会見で「何もさせずに圧倒します」「倒します」と発言するたびに「大人の女性が女子高生をいじめてる」ように見えて「ヒール(悪役)・ぱんちゃん、ベビーフェイス・川島さん」という構図が出来上がった。ぱんちゃん自身、その自覚はあったという。
「私がヒールになってるのは分かってました(笑)。会長にも『今回岡本さんは完璧にヒールキャラの立ち位置だから、最初はそっちの方が注目して貰えるからいいよ』って言われました(笑)。川島選手は『純粋な良い子』だし、私は性格もそんなに良くないので(笑)。演じてるわけではなくて『素』なんです。記者会見で『圧倒します』というのは、自分で『しなきゃダメ』って思ってましたし(笑)。普段から『絶対に倒してやろう』と思って練習してて、対戦相手が決まった瞬間から『ぶっ倒したい』と思うから、相手にも伝えたいな、って(笑)」
6オンスグローブで殴った衝撃と、殴られた痛み。それでも「女子アトム級の頂点に立ちたい」
初めてのプロのリングでは、それまでに味わったことのない「感触」を経験した。「初めて6オンスグローブで殴ったんですけど、ストレートが当たった瞬間『相手の骨』が分かったんです。もうびっくりしてしまって(苦笑)。タイでの試合は8オンスで、もう少し大きくて。6と8は全然違いました。それでも川島選手は倒れなかったですからね。ただ、試合後に見たら顔が腫れていたので『殴ってごめんね』って思いました。5カ月間、ずっと『ぶっ倒してやろう』だったので、やっと解放されて、仲良くできるのかな、とも」
とはいえ、試合の内容は反省点が多かった。「試合前に(梅野)源治さんにずっと『落ち着け、距離を取って』って100回ぐらい言われてたので(笑)。最初の1分は『落ち着け』って言い聞かせながら戦えたんですけど、顔面前蹴りでダウンを取ったら『いける!』って思っちゃって、そこから真っ白になりましたね。2ラウンド目はぐちゃぐちゃで、3ラウンド目はまた落ち着きを取り戻して試合が出来たんですけど」
川島の必死の反撃も、想定内だった。「自分が打ち合いたいタイプで、打ち合う時は前重心で『自分は殴られても絶対に倒れない。殴られてもいいから、先にダウンを取ってやろう』と思って殴ってます。だから川島選手の攻撃で『危ないな』と思った攻撃はなかったですけど、あんなに喰らうとは思わなかったです、フフフ。川島選手の右ストレートを何発か喰らって、鼻は10日間ぐらい痛かったです。 試合では本当に技が出せなくて。ヒザ(蹴り)も練習したし、回転技とか飛び技も練習してたのに焦ってしまって。前蹴り、ミドル、ワンツーしか出なくて、力んでしまってパンチを打つ時も距離が短すぎて、威力が出ないし。会長からは『勝てたのはよかったけど、まだまだこんなもんじゃないから。力を全然出せてない』って。それを聞いて、ちょっと救われました」
試合が地上波ゴールデンタイム生中継で放送されて、試合後の反響は大きかった。「周りの方も初めて私の試合を見てくれて『本気でやってると思わなかった』って言われたのと『川島選手の気持ちが強くて感動した』って(笑)。でも、みんなに『階級が違うよね』と言われて、それはアマチュアの時から言われるんですけど……」
ぱんちゃんが希望した体重は46キロ。試合の契約体重47.5キロは川島に合わせたものだった。「私はデカく見えるみたいですけど、一応、女の子なので『デカい』と言われるのは(苦笑)。足が細くて肩幅があるのと、脂肪がないから筋肉でデカく見えるんだと思います。 普段は朝起きた時で49キロです。だから前回は食事を変えず、直前に水分だけ1.5抜いて。次のSae選手との試合は45.5キロ契約なので、4キロ近く減量があってキツいですけど、試合になるとまた『どれだけ減量してるの?』と言われるんでしょうね(苦笑)」
ぱんちゃんが目指すのは、女子キックボクシングのアトム級(46キロ)の頂点。そして「あの選手」との試合。「キックボクシングに出会った時、ビビビって来ちゃいました(笑)。ただ頑張ればいいだけじゃなくて、テクニックも必要、頭も必要、才能も努力も、身体能力もすべている。こんなに難しいスポーツはないだろうなって思いますし、キックボクシングは本当に面白いです。 いずれ那須川梨々ちゃんとやりたいですね。アマチュアの時に試合を見てるんですけど、手数とか圧力とかあって強いので。一番尊敬しているのが天心選手なので、いつか妹さんとやりたいです。まだプロでは弱い方なので、1戦ずつキャリアのある選手に勝っていって、いずれREBELSで女子アトム級のトーナメントをやって貰いたいです。タイトルマッチというよりか、何人か選手を集めて貰ってトーナメントをやれば、比較で『自分の方が強い』って見せられると思うので。 そのためにも次の試合は何が何でもKOしたいです。Sae選手は記者会見で顔を合わせたらとても優しそうな方なんですけど、当日は関係なく倒しにいこうと思ってます。Sae選手の試合の動画を見たらずっと首相撲でしたけど、私も首相撲は毎日やっているので、首相撲の勝負になったらぶん投げたい、って思ってます(笑)。今回こそ倒して勝ちたいので、ぜひ応援をよろしくお願いします」
ぱんちゃん璃奈(ぱんちゃんりな。本名 岡本璃奈)所属:STRUGGLE生年月日:1994年3月17日生まれ、25歳出身:大阪府豊中市身長:164cm戦績:1戦1勝。KAMINARIMON全日本2018・47㎏優勝、Girls Bloom Cup 50㎏優勝