1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第21回目は1996年6月7日、東京・後楽園ホールで開催されたシュートボクシング『SHOOT THE SHOCK!!』より、村浜武洋(シーザージム)がムエタイの強豪に挑んだ一戦。
(写真)村浜の右アッパーに左の縦ヒジを合わせに来たガウナー 村浜は軽量級ならではのスピードに加えて、軽量級離れした強打でプロデビュー当初から次期エースとして注目を浴びた。1993年12月にデビューすると破竹の11連勝。3人の外国人選手を含む4連続KOを飾っていたところで、その前に立ちはだかったのがムエタイの壁だった。
1996年1月に近代ムエタイの最高傑作と呼ばれた“9冠王”チャモアペットと無謀とも思える12戦目に臨み、敗れはしたものの強打であわやのシーンを作り出し、判定も2-1と僅差でのプロ初黒星。続く3月のカング・トレン(アメリカ)戦ではKO勝ちでKICK世界スーパーフェザー級王座を獲得して復活の狼煙をあげると、6月に待ち受けていたのは再びムエタイの強豪だった。
ガウナー・ソーケッタリンチャン(タイ)。ルンピニースタジアム認定スーパーフェザー級3位、ラジャダムナンスタジアム認定フェザー級4位で、戦績は93勝(12KO)43敗4分2無効試合。現役バリバリのトップ選手だった。試合は3分5R、SBルールではなくムエタイルールを採用。
村浜が初めて対戦したタイ人選手はチャモアペット。彼を基準にすることでタイ人の技術や肉体的な強さを分かったつもりでいた。ところが、いざ試合が始まるとガウナーは全ての面でその予想を遥かに上回っていたのだ。村浜はチャモアペットからも感じることのなかった“恐怖”を覚えたという。
序盤は様子を見るかと思われたガウナーが、意外にも1Rから牙を剥いて襲い掛かった。フェイントをかけつつ懐を取ろうとする村浜の動きを縦ヒジや前蹴りを効果的に使って封じ、ヒジ・ヒザにつなげていく。それは鋭利な凶器となり、鈍い音をたてながら何度となく村浜に突き刺さった。
明らかに早いラウンドでのKOを狙っていたガウナーだが、驚異的ともいえる村浜のタフネスさがそれを許さなかった。試合後、ガウナーは「あれだけ攻めたらタイ人でも倒れているよ。彼はタイ人よりもタフだね。その点では、今まで対戦した中で彼が一番だろう」と評したほどだ。
単発ながらヒットした村浜のパンチはガウナーを何度かグラつかせてもいた。だが、ガウナーのヒジ、ヒザ、前蹴りはそれ以上だった。激しいバトルが繰り広げられたが、勝敗は誰の目にも明らかだった。判定は2-0だったが、村浜はドローをつけたジャッジが読み上げられると首を横に振った。
(写真)悔し涙を流しながら吉鷹(左)のアドバイスを聞く村浜。左目上のカットはヒジではなくバッティングによるもの「完敗です。格が違いました。強いのは分かっていたけれど、これほどだとは思っていなかった。死ぬ気で行ったつもりでしたが、全然ダメでした…」と村浜は悔し涙を流した。