キックボクシング初挑戦でニールセンを1Rでマットに沈めた佐竹は「ダーッ!」と雄叫びをあげた
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第6回目は1990年6月30日、日本武道館で開催された全日本キックボクシング連盟『INSPIRING WARS HEAT 630』より、佐竹雅昭(正道会館)がキックボクシングに初挑戦した一戦。
(写真)前年に続いて日本武道館大会を開催した全日本キック。この年は2度開催した
正道会館の全日本空手道選手権を三連覇、前田日明への挑戦表明、プロレス団体SWS参戦の噂…など、空手界を超えて格闘技界で話題の中心にいた佐竹雅昭。
その佐竹がキックボクシングルールに初挑戦することが決まった。正道会館全日本選手権での延長戦ルールでグローブ戦は経験済みの佐竹だが、本格的なキックボクシングの試合はこれが初めて。しかも対戦相手は、前田日明との異種格闘技戦で名をはせたドン・中矢・ニールセン(アメリカ)。
「プロにアマチュアが挑戦しようなんて、佐竹はクレイジーだ。僕は空手家には絶対に負けない」と戦前、ニールセンは自信満々に答えた。
技術的な部分を考えれば、互いに高度なものは持ち合わせていない。しかし、この一戦にキック界・空手界の関係者、格闘技ファンの多大な注目が集まった。あくまでキックボクシングの試合なのだが、観る側の意識の中では“空手vsキックボクシングの異種格闘技戦”色の濃い試合だったからである。
両選手がリング中央に歩み出る。佐竹がニールセンの瞳をにらみつけると、ニールセンは「そんなに意気込むなよ」と言わんばかりにくだけた笑顔を作った。
運命のゴングは鳴った。中央に歩み出た両者は、ほぼ同時に左ローを交錯させる。佐竹もニールセンもサウスポー構え。序盤の蹴撃戦はニールセンが優勢だった。左ローを多用し、得意の左ストレートで佐竹の体勢を後方へ崩しもした。ヒザ蹴りも連続して繰り出す。
(写真)ニールセンの左ストレートでガクッと腰を落とす佐竹
だが、そのヒザ蹴りの一発が佐竹の下腹部に入った。それは偶然のものであった。しかし、ここから試合が一気に荒れ模様となる。佐竹も故意か偶然か、右ローで金的を蹴り返す。そしてニールセンをコーナーに追い詰めたところでバッティング。ブレイクを命じたレフェリーが佐竹に注意を与える。ニールセンの表情が険しくなった。
ここで両者はパンチの打ち合い。打撃戦の中で佐竹は再度バッティング。ニールセンはレフェリーの方へ抗議の視線を投げかける。だが試合は続行中だ。佐竹は一気に前へ出ると右の4連打を顔面へ叩き込み、ニールセンをロープに詰めると今度はいったん体勢を低くし、ニールセンのアゴを勝ち上げるように頭から突っ込んだ。これはもうバッティングではなく“頭突き”である。即座にレフェリーは試合を一時ストップし、ジャッジに「減点」を宣した。
試合再開。互いにローを蹴り合った直後、佐竹の右ストレートがニールセンの鼻っ柱を打ち抜いた。ニールセンが後方へ倒れてダウン。カウントが始まり、ニールセンは起き上がろうとするが、上体を起こしたところで前方へゴロンと一回転。そのまま起き上がることができなかった。1R2分7秒、佐竹のKO勝ち。
(写真)故意か偶然か、バッティングは物議をかもした
“勝負”に勝った佐竹は「ダーッ!」と天井へ向けて拳を突き上げ、2度、3度と絶叫した。
試合後、ニールセン陣営からは「頭突きのダメージで負けた。勝負は無効だ」とのクレームが付けられたが受け入れられず、勝敗は覆らなかった。レフェリングに問題ありとされたが、レフェリーは「最初の時に注意、次に減点を宣告しました。私はルールに則って普通のレフェリングをしただけです」と毅然と答えた。また、主催である全日本キックボクシング連盟からも「全日本キックのレフェリーが佐竹のKO勝ちとしたわけですから、頭突きに関しても減点1で終わっています」との見解を示した。
(写真)試合後、ニールセンは「頭突きで負けた」とクレームをつけ、連盟に再戦を要求した